過去の展覧会 |
以下は、Gallery ART SPACE が発行している機関誌『ART SPACE magazine』からの抜粋です。
アベタツヤ 展 『Bleak Beauty』 2000年10月17日(火)〜10月22日(日) 109×83.6cm(横長)の大型のネガカラープリントを額装した、4点の写真作品による展覧会である。この4点は神戸・須磨区のタンク山、東京・江東区の夢の島公園、東急ハンズ池袋店前、京都・伏見区の高層マンションを日中の明るい光線で撮影したものであるが、これらは単に郊外や町中の景色を撮影したものではなく、それぞれこの一年の間に世間を騒がせた殺人事件の現場となった場所を被写体としている。しかし、あえて事件発生からある程度の時間お置いて撮影していることや、明るい光の中で景色をとらえていることによって、そういったいわれがある場所とは程遠い、日常ののどかさが画面から見て取ることができる。そしてこの作品からは、大きな事件も時間の経過と共に風化してゆき、何事もなったように再び日常に戻ってゆくということや、事件は日常的な場所の中で常に起こりうる可能性があるということを端的に感じるのである。 この展覧会では、写真の他に4枚のパネルに次のテキストを印字したものが同時に展示された。 [Bleak Beauty/醜さの中の美しさ/神戸須磨区タンク山 夢の島公園 池袋、東急ハンズ前、京都、てるくはのる自殺マンション/てるくはろる自殺マンション] |
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水野 夏生 製本作品展 2000年10月24日(火)〜10月29日(日) 爬虫類などの革や、和紙を使った装飾を施した製本の作品による展覧会。 「パッセーカルトン」、「ブラデル」、「本かがり装」などの製本の技法を凝らした計12点の作品および即売用のノート類が、壁につくった白い棚に、観客が自由に手に取ることができるような形で一点ずつ置かれ、表紙への装飾の際に使われる「マーブリング」を和紙に表現した作品を額装したもの4点が壁に展示された。 これらの作品は既成の本をベースにした上から装丁を施したものであるが、本のタイトルは以下の通りである。 『河童の三平』(水木しげる)/『現代の文学 13 安部公房』(安部公房)/『Cats in the San ハンス・シルベスター作品集 』(ハンス・シルベスター)/『CATS IN PARADISE ハンス・シルベスター作品集 』(ハンス・シルベスター)/『百頭女』(マックス・エルンスト)/『ホビット ゆきてかえりし物語』(J.R.トールキン、山本史郎訳)/ 『QJマンガ選書 水木しげる 貸本モダンホラー 上』(水木しげる)/『QJマンガ選書 水木しげる 貸本モダンホラー 下』(水木しげる)/『少学館 入門百科シリーズ189 妖怪博士入門(水木しげる)/『現代漫画5 水木しげる集』(水木しげる)/『HANS Silvester』(ハンス・シルベスター)/『定本 悪魔君』 (水木しげる) |
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一樂 恭子展 2000年11月7日(火)〜11月12日(日) 大小の油彩4点と、額装された比較的大きめの水彩4点、マット加工された主にポストカード大の水彩の小作品14点などで構成された展覧会。 大きめの油彩など作品のうちの何点かは、例えば南国の浜辺に置かれたスニーカーとおパイナップルや、雪景色の中の水芭蕉、街角の中のプールや、風景の中に浮かぶレモンとポットなど、非現実的な景色を描いているが、それは違和感としては映らず、彼女の心象風景がストレートに表わされているように思われる。そしてそれは、他の全ての作品からも見て取れる、色彩と構図の透明感が存分に活かされているからではなかろうか。 また、水彩による「鯉のぼり」や「鉛筆」の列、あるいは何気ないスケッチの作品などにも、通常の具象画とは一線を画した存在感がどことなく感じられるのである。 |
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隠崎 麗奈・吉田 公美 展 『イツモノウシロ』 2000年11月14日(火)〜11月19日(日) 立体作品による2人展。隠崎麗奈はFRPとシリコンを使ったオブジェ数点を組み合わせた作品を、吉田公美は、鉄を熱であぶってたたいてカーブをつけたものを、溶接によってつなぎ合わせて形をつくった作品を制作している。 今回の展覧開で隠崎は、透明の樹脂でできた1m弱はある大きな目玉焼きのオブジェ形5点の中に、あるものの中にはシリコンでできた実物そっくりの卵の黄身が、またあるもののなかにはエノキダケやシラタキ、焼き豆腐などのすき焼きの具が、さらに別の卵には車に惹かれた猫を型取った物などがそれぞれ入れられることで、一つ一つの目玉焼きがある一日の日記として表現された作品を展示した。 一方吉田は、鉄板を鍛金してつくった50〜130cm ほどの大小3点の彫刻作品を展示したが、赤や銅の色が所々で鈍く光る表面の上を這うような溶接の継ぎ目のラインによって、作品は複雑な表情を与えられ、それらが丸く縮こまるようにしてできた形態は、「さなぎ」あるいは生き物の原形をイメージさせるようでもある。 |
隠崎 麗奈 作品 |
吉田 公美 作品 |
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青野 文昭 展 2000年11月21日(火)〜11月26日(日) ギャラリ−の奥には、天井すれすれの高さの赤い鳥居が建てられている。これは、仙台郊外の八木山越路神社という、今では朽ち果てて草に埋もれてしまった社にあった鳥居の残骸を拾ってきて、そこに粘土などで残りの部分を付け足すことでもとの姿を再現した作品で、今回展示された他の作品も、同様の方法で制作されている。採取してきた鳥居は、腐りかけた2mほどの長さの木に赤いトタンを巻き付けた状態のものであったそうだが、「鳥居」の作品は、この赤いトタン約1m分に他の部分を肉付けすることでつくられており、さらにトタンの残りの部分は平らにのばされ、そこに鉄板を継ぎ足して横長の平面作品に仕上げられている。また天井近くまで届く高さの鳥居の支柱の木は、粘土の土台に支えられた短い支柱と共に、螺旋を巻く粘土に支えられた立体となり、「越路神社跡地」と記された立て札の板も、継ぎ足されて横長の平面作品へと置き換えられた。 これらは現地で採取してきたものに、いわゆる「つくり物」の部分を足して制作されているが、そうした作為をほとんど見破れないような造形的努力がなされていることにより、それぞれの作品は、不可思議な質感に支えられたリアリティーを漂わせている。つまりここに展示された作品は、作者の記憶の中にある神社の姿を再現するという趣旨を含んで制作されたものであるが、一個人の記憶の断片が具体的な形を伴って現れる様が、私たちの意識を、「風景に刻まれた記憶」と「作者自身の記憶」さらに「記憶が宿る造形物」の3者を往きつ戻りつさせることによって、特異なリアリティーを伴った空間がギャラリ−の中に出現したと思われるのである。 |
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Gallery ART SPACE Produce Frontiers Vol.21 『気配の触感』 (石原 美和子・内海 聖史・吉野 まゆみ) 2000年11月28日(火)〜12月3日(日) この『気配の触感』は、作品が展示空間に放つ「気配」の作用に着目し、そうした要素を積極的に表現の中に取り入れることで、作品自体の存在感を重視するよりも、そこに内在するイメ−ジの力を最大限に引き出そうとする意識をもって制作を行っている石原 美和子・内海 聖史・吉野 まゆみの3名の作品によって構成される展覧会で、それぞれ以下のような展示を行った。 内海 聖史 :柱に区切られながらも連続するギャラリ−の2つの壁面に、大画面の絵画作品がサイズをピッタリ合わせてそれぞれはめ込まれている。緑色を主とする油彩で描かれたこの作品は、整然と並ぶ無数のドットや細長い矩形の形が反復しながら重なり合うことで、複雑かつ重層的なイメ−ジを生んでいる。そのために、観る者の視点はそのイメ−ジをうまくとらえることができず、そうしてつくられた画面によって、絵画として制作されたパネルが壁面と同化し、展示空間全体に描かれたイメ−ジが浸透してゆくのである。 石原 美和子 :ギャラリ−の床には、バーナーで表面をあぶったり打ち付けて凹凸を付けた鉄板や、使い込まれた質感の「渡り板」のような木が置かれ、その上には、ブロンズを素材とする小さなオブジェが多数設置されている。それらは、ベットや椅子、ドーム型の家、百合の枝などさまざまな形を象徴しており、オブジェが集まった様は、「凝縮された小さな世界」の姿を私たちにイメ−ジさせる。 吉野 まゆみ :1台のヴィデオ・モニターと2台一組の小型モニターに映し出された映像を中心とする展示。小型モニターには、たとえば列車が通り過ぎる姿や川の水の流れを撮影した7分程度の映像が2台をシンクロさせて投影しており、もう1台には、水面の動きなどをもとにした映像がさまざまなエフェクトを加えて映されている。またモニターの上方の壁には、映像の一部をスティルにしたデジタルプリントを12点組にまためた作品が展示されており、映像と写真の両者は相まって、もやがかかったような不可思議なイメ−ジをつくり出している。 |
内海 聖史 作品(奥の平面) |
石原 美和子 作品 |
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吉野 まゆみ 作品 |
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『Othersight』 (佐々木春江・服部篤浩・副島章弘) 2000年12月5日(火)〜12月10日(日) 多摩芙術大学の絵画科に在籍する、茶褐色の色彩と重厚なタッチで室内風景を描く服部篤浩、透明感のある色使いで静物を描く佐々木春江、人物の顔や日常物を描く副島章弘による3人展。 服部篤浩は、重厚な色彩とタッチで「密室」の中の人物像を描いた2点の油彩と小品2点および、墨のような黒で主に人物を描いた15点のドゥローイング作品を、佐々木春江は、オレンジを基調とする配色の丘の上からの光景の絵をメインに、緑やオレンジの渋い色彩と象徴的な形の反復で構成した計6点の油彩、さらに5点のドゥローイング作品を、副島章弘は、画面いっぱいの顔の絵をメインに、骨太の輪郭線を生かして人物や顔などを描いた計7点の油彩および、小さなメモ用紙にドゥローイングを描いたもの8点をそれぞれ展示した。 |
左2点は服部 篤宏、奥は佐々木 春江の作品 |
副島 章弘 作品 |
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小林 のりお 展 『not imags』 2000年12月12日(火)〜12月17日(日) デジタルカメラやWeb上で採集したイメ−ジを、プリンターでデジタル出力したカラー写真による展覧会。 展示は4つのシリーズに大別できる。まず一つは、高速で移動する列車(山形新幹線)の車窓に現れた「青いビニールシート」のある風景を撮影した、55×74cm(横長)の写真を、長尺のロール紙に二段分、計13枚出力したものが床に置かれ、もう一つの風景のシリーズとして、暗闇に灯るネオンが尾をひく景色を撮影者が移動する状況の中で撮った、同様のサイズの写真8点が、壁面にピンナップで留められた。 そしてそれらと対照をなすのは、Web上からダウンロードした画像を借用したシリーズで、一つは3点一組で壁に貼られた、「Missing People(行方不明者)」を探すためのWebの顔写真を大伸ばししたものと、もう一つは、火星の地表の映像にグリッドを引いたものが床に置かれ、さらにそれ以外のものとして、高所から交差点を撮ったものと、(おそらく太陽の)黄色い光が雲の中を照らす画像の2点が加えて展示された。 前述した通り、これらの画像はすべてデジタル機材を通じて表現されたものであるが、昨今の革新的なデジタル技術の支えはあるにせよ、可能な限りの恒久的な保存を目指してきた従来のプリントに比べると大幅に品質が劣るといわざるをえない今回の展示作品は、そのイメ−ジがいずれ劣化し消えゆく可能性を抱えている。そう考えるとこれらの作品は、体験や記憶を形あるものとしてとどめ置こうとしてきた従来の写真とはやや異なり、風景のシリーズについては、景色を体験する行為そのものを自身の記憶に刻むための手段としての撮影あるいは、そうした記憶の普遍化のためのものであり、Web画像のシリーズについては、自身が他者とコミュニケーとしたという体験自体を普遍化させるための制作であるといえるのではないだろうか。 |
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Christmasu Show 2000 『フユノセイ』 2000年12月19日(火)〜12月24日(日) 毎年恒例の忘年会的なグル−プ展。今年の参加者は以下の19名である。 朝比奈益代(銅版画)、石丸運人(オブジェ)、イトウエイイチ(イラスト)、大橋あかね(オブジェ)、尾川原美和(版画)、金武明子(オブジェ)、川合喬子(平面)、木村恭子(オブジェ)、小林宏道(オブジェ)、桜井ゆかり(平面)、篠原誠司(写真)、遠海紅平(平面)、長沢暁(オブジェ)、長山英喜(時計)、ハマダミノル(イラスト)、原田雅絵(ファイバー)、MAKOTO(平面)、三浦謙樹(平面)、横山一憲(オブジェ)。 |
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『桜井タカシの絵と詩と裸(ラ)』 2000年12月25日(月)〜12月28日(木) 作者が創作した特異なキャラクター『ガンモ』をモチーフにしたものを中心に紙に鉛筆で描いた、濃淡を強調したリアルなイメ−ジの作品など90点あまりで構成された展覧会。 『ガンモ』の他には、赤塚不二夫のアニメのキャラクターを、作者独特の濃淡のある鉛筆の描写でデフォルメしたものや、線でシンプルにがいた女性像もあり、見た目の色彩が数少ないながらもボリュームを感じさせる展示となった。 またこの展覧会では、作者による公開制作が併せて会場で行われた。これは、『ガンモ』のキャラクターをもとに作者がしばしば描く「電車ごっこ」の図を、壁に貼った水彩紙に鉛筆で描きこんでゆくというものだが、さらに展示期間の後半には、スヌーピーやチャーリーブラウンを激しくデフォルメしたイメ−ジがそこに付け加えられた。 |
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Gallery ART SPACE Produce 写真展『風景の残像』よりVol.1『景観の記憶』 (佐藤 ジン・島村 美紀) 2001年1月9日(火)〜1月18日(日) (企画:篠原誠司) この『景観の記憶』は、風景の実像を顕在化させもする写真の秘めたる力を検証する目的を含んで開催されるものであるが、ここでは佐藤ジンと島村美紀という、主にモノクロで風景を撮影した作品を発表している二人の写真家を紹介する展覧会である。 佐藤ジンは、香港の高層ビル群を、建築現場や周囲の古い民家との共存の姿も含めて、時間の幅を伴って撮影した9枚一組の写真や、同じく香港のある地域で期間を隔てて撮った2枚一組の写真、旧朝鮮総督府や戦没者墓地など、韓国・ソウルにおける歴史的な場所を題材とした2枚の大伸ばしの作品、東京・お台場の造成現場を主とする3枚の作品、中国南部・Shenzen での、古い街並と近代的なビルが共存するシーンを撮った2枚の作品によって展示を構成した。これらの作品に共通しているものは、それぞれの都市がかつて体験し記憶した時間を撮影によってさかのぼることで、それらの場が抱えるさまざまな要素をたがにオーバーラップさせて一つの景観を表現しようとする撮影者の意志ではなかろうか。 島村美紀は、東北の山中に遺棄された炭坑のある廃虚の建物の内部を接写や遠景を織り交ぜてさまざまな角度から撮影した、正方形のフォーマットによる計16点のモノクロプリントで展示を構成した。その内の9点は、室内に生い茂る草木のアップ写真や、窓からの景色や階段の光景の他に、やや引いたアングルによって器具類や鉄骨などを写して建物の全景を示すやわらかなトーンの写真などで、他の6点は、建物の中から特に「窓」のある景色のみを集めたものと「床の景色」をモチーフにしたものをそれぞれ3点一組とし、プリント時の光のカブリ(つまりソラリゼーション)を活かした非常にやわらかな質感で仕上げた作品であり、これら一枚一枚の写真は、風景に対する撮影者の記憶を強烈に表現している。 この展覧会は、表現法法や世代に大きな隔たりのある2人の写真家の作品によって構成されたものであるが、展示からは何の違和感を感じることもなく、2人の作品の差異がかえって展覧会テ−マの広がりを創り出していたと思われる。そしてそれは、風景の中に残された記憶を写真によって掘り起こそうとしているという点で、彼らの写真に対する姿勢が等しく一致しているからに他ならないといえるだろう。 |
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佐藤 ジン 作品 |
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島村 美紀 作品 |
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Gallery ART SPACE Produce 写真展『風景の残像』よりVol.2『体験された記憶』 (田邉 晴子・津田 直) (企画:今堀里映) 2001年1月19日(火)〜1月28日(日) この『体験された記憶』は、写真という視覚表現媒体を用いて、目に見えないものの存在を露わにしていこうとしている、田邊晴子と津田直という二人の作家の作品によって構成された展覧会である。 田邊晴子は、郊外の景色を撮影したカラー写真にデジタル加工を加えてプリンターで出力した、横に細長いパネル貼りの作品3点を展示した。その内の一枚は、横浜の港の景色を遠景で撮ったものを、天地のほぼ中央部で反転・合成させて、画面の下半分が天地逆像の海面となった作品と、画面いっぱいに広がる青空の景色の下隅に、電柱の突端や画面に向かってのびる電線が写し出されたものを、左右のほぼ中央部で反転・合成させた作品、もう一点は、背高あわだち草の群落が画面を黄色い色彩でうめる丘の造成地の光景で、その上に建つ一件の家と空に浮かぶ白い雲を反転・合成させた作品である。それぞれのパネル上に創り出された光景は非現実的なもので、遠景から見るとファンタジーを含んだ絵画のようでもあるが、それは、彼女がかつて体験した風景との対面の記憶が、意識の中のさまざまなものと混ぜ合わされた末の様を表しているかのようでもある。 津田直は、ある光景の中で僅かな時間差をもって連続して撮影した複数枚のポラロイド写真を、数枚一組で横に順番に並べて額装した計9点の作品による展示を行った。これらは、飛行機の窓からのぞく翼と眼下の景色や暗闇の中におぼろげに灯る街灯の灯り、森林の上を横切る日射や風に踊らされる草の上の落ち葉、公園でのピクニック、揺れる葉陰、スプリンクラーから放たれる水しぶき、芝生でくつろぐ人など、彼が出会った光景をポラロイドの小さな画面に移して収める行為をもとに制作されたものであるが、そこには彼がその現場と向かい合った時間が表現されているだけではなく、写された被写体自身がその場で体験した記憶が含まれているような気がしてならない。 この展覧会では、二人の作品が一部の壁面で上下に重なり合って展示されていたが、第1期の『景観の記憶』と同様その組み合わせに違和感を感じることはなかった。その要因としては、手法の大きな違いこそあれ両者の作品が、撮影の場で対面した時間に普遍性を与えようとする意思をもとに表現されたものであると考えられないだろうか。 |
田邉 晴子 作品 |
田邉 晴子 作品の一部 |
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津田 直 作品 |
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津田 直 作品の一部 |
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『階沢蒼一の自画像 〜画家機械〜』 2001年1月30日(火)〜2月11日(日) 「階沢蒼一の絵画ウイルスは映画に侵食している」 展覧会と同時期に公開された映画『弟切草』の美術を担当した木村俊幸による展示。ここでは、映画に登場するドイツ表現主義の日本人画家「貝沢蒼一」の制作現場のイメージをもとにして、貝沢の作品のコレクター・木村俊幸が会場を構成するという架空の設定の下に展示が行われた。 照明を暗く落としたギャラリ−には、街の片隅に廃棄されていたという2組の幼児用滑り台を組み合わせた上から表現主義的な装飾を施したものに、大型のイーゼルを想起させる造形を加えてつくった立体作品が設置された。その中にはビデオ・プロじぇクターが仕込まれており、映画の中で使用した「貝沢蒼一の絵画」20点余りが静かに写し出されてゆく。そして壁面には、撮影に使った焼けただれた絵(燃やすシーンで使用)が一枚掛けられ、さらに床には、滑り台と同様に廃棄されていたという古びた積木の入った2組の木箱や、「聖水」をイメージさせるようなやや濁った水を収めた古ぼけた大型のガラス瓶、壁に投影される絵画を編集した作者手づくりの装幀本などが展示された。 |
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E−Z展 『光言 kou-gen』 2001年2月14日(水)〜2月18日(日) 市村彰、川部源太、須藤慶一、対馬隆介、成本亮、橋本悟、樋口貴康、樋上純の8名によるライト・オブジェの作家グループ「E-Z」による8人展で、『ある言葉をもとに想起された灯り』をテーマにそれぞれデザイン・制作した照明器具が展示された。 来場者がビニール製のシェードの形を変えることで自由に変形できるランプシェードや、蛍光管の素のままの形を生かして見せるデザインの蛍光灯など、それぞれが工夫を凝らした作品を照明を暗くおとしたギャラリ−内点在させることで空間が構成された展覧会であった。 |
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三浦 秀彦 展 『大気の地形にそって』 2001年2月20日(火)〜2月25日(日) 暗室となったギャラリ−に入ると、鋭角なたて長の半円を描きながら空間の中央部に向かって垂れ下がる、ブラックライトに照らされ青白く光る透過性の布の「膜」が天井全体を覆っていることに気が付く。そして、天空を象徴するかのような膜の下には、白いフェルトを巻いた多数の鉄パイプを複雑に組み合わせて構築した立体物が、やはり青白い光に鈍く照らされながら、天井の膜と呼応するように床に設置されている。この立体物を、作者は「身体を支えるための構造としての家具」と定義付けており、来場者は、張り巡らされたパイプの上に実際に腰を掛けたり、そのすき間の空間に入り込んでからだをもたれかけさせることができる。 また会場内は、ブラックライトによる光の効果に加えて、天井際の四隅に設置されたスピーカーから静かに流れる、作者自作の音楽(短いフレーズが延々と繰り返される)で包み込まれているが、これらは、私たちと作品との結びつきをことさら強めることで、両者がこの展示空間を「共有」しているという意識を私たちに感じさせる役割を果たしているといえるだろう。そしてこうした意識がもとになって、物理的な部分のみなではなく「心理的」な意味をも含んだ「身体を支える」システムが、ここに構築されているのである。 |
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『WILD SIXEN』 2001年2月27日(火)〜3月4日(日) 泉裕基、内田耕平、喜田大介、小池潤一、清水卓郎、陣内敬治による6人展。 各自がそれぞれ制作した作品の他に、6名の共同制作による無数の木の板を複雑に組み合わせて構築した大型の作品1点がギャラリーの中央に設置された。 |
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Gallery ART SPACE Produce 『アトリエ訪問U』 Vol.1:菱山裕子 2001年3月5日(月)〜3月7日(水) 菱山裕子、高橋理加、関野宏子、大橋あかねの4名が、制作を行いながらそれぞれ3日間をギャラリ−で過ごすという公開制作のシリーズ『アトリエ訪問 』の第一弾。菱山裕子は、アルミメッシュを素材として使い、ほぼ等身大の人体をモチーフとした「彫刻」作品を主に制作している。 今回は、第一日目に作品を保管するための大型の弾ボール箱をつくり、二日目には、作品の「骨格」の部分にあたる金属性の心棒を制作、三日目には、小作品用の展示ケースの塗料塗り替える作業を行った。 |
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Gallery ART SPACE Produce 『アトリエ訪問U』 Vol.2:高橋理加 2001年3月9日(金)〜3月11日(日) 公開制作のシリーズ『アトリエ訪問 』の第二弾。高橋理加は、牛乳パックの再生紙からほぼ等身大の小学生の人型を表す立体をつくり、それらで空間を構成するインスタレ−ション作品を発表している。 一日目は主に、素材となる牛乳パックの再生紙を「鋤いて」紙をつくる作業を、二日目からは、「胎児」を型取った小さめの作品を型を使って制作し、ヘリウムを注入した大きな白い風船にそれらをくくり付けて次々とギャラリ−の空間を浮遊させる工程へと進んだ。 |
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Gallery ART SPACE Produce 『アトリエ訪問U』 Vol.3:関野宏子 2001年3月13日(火)〜3月15日(木) 公開制作のシリーズ『アトリエ訪問 』の第三弾。関野宏子は、フリースなどの手触りの柔らかな布素材で、ユーモラスな形態のオブジェを「増殖」させるように多数つくり、それらで空間を構成する展示を行っている。 今回はギャラリ−にミシンを持ち込み、10cmほどの太さの「ヘビ」のような細長いぬいぐるみ状の立体を、布の色をところどころで変えながらつないで伸ばしてゆき、最終的には7m70cmほどの、床を這うカラフルで細長い作品が完成した。 |
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Gallery ART SPACE Produce 『アトリエ訪問U』 Vol.4:大橋あかね 2001年3月16日(金)〜3月18日(日) 公開制作のシリーズ『アトリエ訪問 』の第四弾。大橋あかねは、古着の着物などから切り取った布素材を使って、「かえる」を型取ったぬいぐるみを果てしなく「増殖」させるようにつくり続けている。 ギャラリ−の中央には、3畳ほどのサイズの赤いカーペットが敷かれ、その上には着物の半襟を重ねたものを「こたつ蒲団」の代わりにしたこたつが置かれている。この卓上で着物の布地に米粒をつめた「ハラゴメガエル」が次々とつくりだされてゆくが、来場者は靴を脱いで作者と一緒にこたつに入ることで、制作の現場を共有することができるのである。 |
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『eyes 〜四人の「私」線〜』 2001年3月20日(火)〜3月25日(日) 主に建造物を撮る佐々木正代、「道に在るもの。植えられた、捨てられた、帰りを待つもの」をテーマにする平田由美、「私のスキな人達を、私の手で残しておきたい。」と語る安田純子、植物などの接写で自己の感性を表現する吉田佳代の4名による、モノクロプリントで構成される展覧会。 佐々木は、建築物の一断面や観覧車をビューカメラで撮った5点の作品を、平田は、棕櫚縄の結び目を浅い被写界深度によるピンとのメリハリを生かして撮った6点一組の作品および、ほぼ同様の手法による4点一組の植物の接写写真を、吉田は豊かな外光の中で植物の自然の姿を接写した5点の作品を、安田は女子学生のポートレートと、印画紙の一部分を四角く切りぬいたものを2点一組とした作品を、それぞれ発表した。 |
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Gallery ART SPACE Produce 『アトリエ訪問U』 Vol.5:小林治子 2001年4月3日(火)〜4月5日(木) 3月に開催された前期の四名に引き続いて、小林治子、ピコピコ、歳原光代、相澤裕子の4名が、制作を行いながらそれぞれ3日間をギャラリ−で過ごすという公開制作のシリーズ『アトリエ訪問 』の第五弾。 小林治子は、空想上のものも含めた生き物たちを主に題材にして、紙だけではなく段ボール板の切れ端などにも描いたイラストレ−ション作品を主に制作している。 今回は、会期前にあらかじめ制作したやや大きめの作品で壁面を覆ったほか、ギャラリ−の近所のスーパーで調達した特大サイズの段ボール箱をもとにして、 150cmほどの大きさのカラフルな象のレリーフと3mを超す火を吹く恐竜の絵、3mほどのイカをモチーフにしたレリーフ作品の3点を3日間で完成させた。 |
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Gallery ART SPACE Produce 『アトリエ訪問U』 Vol.6:ピコピコ 2001年4月6日(金)〜4月9日(月) 公開制作のシリーズ『アトリエ訪問 』の第六弾。 ピコピコは、空想の上での生き物や怪物などを描いたイラストや、それらのキャラクターをもとにフェイク・ファーなどを使ってつくった、ぬいぐるみや等身大の着ぐるみなどを主に制作している。 今回は、オリジナルの「怪獣図鑑」のイラストや小さなぬいぐるみ、本やTシャツなどの即売用グッズを展示した中で、粘土にカラフルな着彩をした10〜40cmほどの「怪獣」の人形を4日間で数体制作した。 |
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Gallery ART SPACE Produce 『アトリエ訪問U』 Vol.7:歳原光代 2001年4月10日(火)〜4月12日(木) 公開制作のシリーズ『アトリエ訪問 』の第七弾。 歳原光代は、牛や豚など様々な動物の毛皮を使った有機的な形態の立体作品を制作するほか、これらの立体と照明を組み合わせて構成したインスタレ−ション等を発表している。 今回は、袋状の革の素材に新聞紙をつめて立体にした4mほどの細長い作品を天井から吊るし、その上から染めて着彩してゆく作業の他に、同様の作業工程による20〜30cmほどの小さな立体を、作者自身だけでなく来場者にもつくってもらうという展示が行われた。 |
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Gallery ART SPACE Produce 『アトリエ訪問U』 Vol.8:相澤裕子 2001年4月13日(金)〜4月15日(日) 公開制作のシリーズ『アトリエ訪問 』の第八弾。 相澤裕子は、ある規則性を持つた木材の組み合わせをもとにした構造物とそれを支える台座から構成される立体作品および、これらの立体を題材とした写真作品を制作している。 今回は、長さ20cmほどで太さ数ミリの、割箸を思わせる無数の生木の角材をボンドで互いに接着して格子状のものをつくり、それを縦につないで延々と伸ばしてゆくことによって、天井と床の間を湾曲しながら空間を走る全長10m近い木材の立体作品が出現した。 |
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小森由夫写真展 『混沌ー2000年・旧ユーゴスラビア』 2001年4月17日(火)〜4月29日(日) [2000年9月から12月にかけての旧ユーゴスラピア(セルビア・コソボ・ボスニア・ヘルツェゴピナ・クロアチア)の記録] 戦禍の余波が残る旧ユーゴスラヴィアにおける、ミロシェヴィッチ前大統領失脚を伴うた2000年末の大統領選挙を中心とした約3カ月間のドキュメントを、モノクロ写真によって構成した展覧会である。 展示は、四切り大のプリント計17点をアルミ額で額装して行われた。これらはそれぞれ、コソボ、ボスニア=ヘルチェゴビナ、クロアチア、セルビアで撮影されたもので,大統領選挙を主題としたものの他に、内戦戦死者の集団墓地あるいは戦死者の遺影を撮った写真や、戦禍で破壊されたさまざまな建造物の姿、それらが再建されてゆく様子、政治的な集会やデモ、そうした状況下での市民の日常など、現在の旧ユーゴスラヴィアのありのままの姿が、異邦人の目によるものであるにせよ可能な範囲で余すところなくとらえられている。そしてそこには、「戦禍の下の国」という悲痛な印象で語られがちな旧ユーゴスラヴィアのイメ−ジとは異なった姿を見い出すことができるのである。 |
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Gallery ART SPACE Produce Frontiers Vol.22『LINE
BODY』 [岸田宗子・木村史子・ヒノクチミワ] 2001年5月1日(火)〜5月6日(日) 紙の上に引かれた線は、私たちが住む世界のさまざまな様子を、縮図として簡潔に表すこともできる。中でも特に、線をもとにした人物描写は、作品に描かれた人々のキャラクターなどを示すだけではなく、絵に登場する人物を作者がどのような立場でどうとらえているのかといったことや、作者自身の人となりを表す場合さえある。この展覧会は、「線」で人を描くことで主に作品を制作している岸田 宗子、木村 史子、ヒノクチミワのによって行われた。 岸田は、「羽を持つ人(神?)」をモチーフにして黒のペンで描いた絵を、解読が不可能な文字と組み合わせてつくった一見ストーリーの無い本を置き、さらにそこから抜粋した絵を拡大コピーし、それを壁にランダムに貼った展示を、木村は、繊細さと力強さを併せ持つ輪郭線が非常に印象深い女性の姿を、赤や深い緑、鮮やかな青などを地色にし、花や室内の風景等がモチーフとなる背景と共に、板にガッシュで描いた10点の作品による展示を、ヒノクチは、映画俳優やプロレスラー、政治家などの著名人のポートレートをモチーフにした赤の線描を主とするエッチングの作品に、青い空に浮かぶ雲や赤い炎の絵を時折り交ぜながら、計30点を壁にグリッド状に均等配置した展示をそれぞれ行った。 |
手前は木村 史子 作品、奥は岸田 宗子 作品 |
ヒノクチミワ 作品 |
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『シークエンス 〜都市から新たな空間へ〜』 2001年5月9日(水)〜5月13日(日) 東京造形大学で都市の環境計画を学ぶ10名による共同制作として行われる、身体が感じている都市の連続的な変化を、抽象的な空間モデルヘと還元させるインスタレーション。 60×20×15cmの発泡スチロールの白い立方体をもとにしてその内部に幾何学的な空間をつくり、それを、ときには床や壁に広がってゆくように、ときには天に向かって積み上げられてゆくようにして無数に組み合わせることで、ある都市を模したような構造体がギャラリ−の空間に構築された。「スケールを持たない形態はいかなるものへも発展する可能性を秘める」という展覧会のコンセプトを身をもって体感するかのように、この空間に足を踏み入れたものは、この「都市」を上空から俯瞰するようなジオラマ的感覚と、いつのまに自分自身のからだが縮まってこの「都市」の空間の中に迷い込んでしまうようなミクロ的感覚を同時に味わうのである。 |
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Gallery ART SPACE Produce 山根 勇 展 『child's play』 2001年5月15日(火)〜5月20日(日) 2000年の12月から2001年の5月にかけて、作者が何かを一日一個と拾うと決めて街中で出会ったさまざまな物体、さらにその状況を記録した日記を3点一組とした作品約 120点で構成された展覧会。 この作品は、Gallery ART SPACE の企画で3月27日〜4月1日に京都・Gallery SOWAKAにて行われた『記憶への回廊』のために制作されたもので、今回は、京都での展示の構成をやや変えてその巡回展として開催された。 ギャラリ−の床には、サービス判サイズのカラー写真を15.5×11cm、横長の2枚のガラス板に2枚裏表で挟んで床に垂直に立てたものと、作者が何かを一日一個と拾うと決めて街中で出会ったさまざまな物体、さらにその状況を記録した日記を3点一組とした作品が、横11列、縦5列の計55組分、横35cm、縦50cmの幅を空けて等間隔に整然と並べられ、その隙間を縫うようにして、40ワットの剥き出しの蛍光灯計4本が設置され、部屋全体をクールに照らし出している。またこれらのオブジェ群は、壁面全体にも広がっており、こちらはガラス板にはさまれた状態ではなく、壁に写真のプリントを上下に2枚貼りその周囲に拾得物とテキストの紙を配置する方法で、計78組が取り付けられた。 京都での展示について以前書いた展評でも取り上げた例であるが、例えば赤いリボンを拾った12月13日には、「赤いリボン。新宿にて。ごみ箱の前に落ちていた赤いリボンは、誰かがそこに捨てようとして入れそこなったものだろう。」という日記と共に、ごみ箱を中心とした遠景と赤いリボンのアップの2枚の写真、赤いリボンの実物で構成されている。その他に彼が拾ったものは、シャープペン、手袋、ワッペン、自転車のサドル、ぬいぐるみ、造花、印鑑、子供の靴、モデルガン、立ち入り禁止の立て札、ゴルフクラブなど多岐に渡るが、彼が日常の中でたまたま出会い気に留めたものを無作為に選び取るというその選択の脈絡の無さは、自身の記憶の奥底に埋没し堆積していった日常の中での体験や出会いのすべてを、彼が再び掘り起こそうとする意志を表しているような気がしてならないのである。 ところで今回の展示は、照明の光量が多い点や、半数以上が壁に設置されている点、床の作品群が横長に広がっている点などにより、京都でのものと比べて作品の詳細が非常に見やすく、観客と作品との距離がずいぶんと縮まっているように感じられた。そのことによって、作品を「見る」のではなく「感じる」ということに対する集中力が観客から若干奪われてしまったようにも思われるが、その反面、作品に「入り込む」というよりもむしろ、作者の記憶の領域に「溶け込んでゆく」ような印象を感じ取ることができたのである。 |
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Gallery ART SPACE Produce Collaborators
Vol.1『やすらぎの根』 [阿部尊美・大塚明美] 2001年5月22日(火)〜5月27日(日) Gallery ART SPACE のコーディネートによる二人展のシリーズ「Collaborators」(2001年〜2003年にかけて計24会期開催予定)の第一弾。 「家」ということばから、私たちはどのようなことを想像するだろうか。まず「住居としての家」が思い浮かぶかもしれないが、さらに思いを深く進めてゆくと、「家」とは精神的な拠所であることも含めて、自分自身の居場所を象徴する存在であり、そうした在り方こそが「家」の本質なのではないだろうかということに気付かされるのである。今回の『やすらぎの根』は、概念の上での「家」をテーマに行われた展覧会であり、「家」というキーワードをもとに制作された阿部 尊美と大塚 明美 の二人の作品がオーバー・ラップすることによって、概念としての「家」を形あるものとしてギャラリーの空間に出現させることを主旨としている。 阿部尊美は、A4ほどの透明フィルムに家具などのイメ−ジをもとになった画像をプリントしたもの計37枚を、一辺2mほどの逆三角形を型取るような形で壁面にランダムに貼り、さらに直径12mmほどの透明の中にビニールチューブに血液をイメ−ジさせるような赤く細いチューブを通したものを、フィルム群の上から立体的に配置して構成した作品および、ギャラリーの壁際に5台のMDプレーヤーを点在させて置き、一台につき各2個の小型スピーカーを垂れ下がる黒いコードと共に壁面の上方に取付け、作者の自宅やその周辺で採取した物音やテレビの音声などがスピーカーから小さな音量で漏れ聞こえてくる作品を展示した。 一方大塚明美は、アメ色のFRPを素材とする、頂点に向かって緩やかな傾斜を描く底辺30×30cm、高さ75cmのピラミッド形の立体の中に、下の層から順に作者が一歳の時から現在の30歳の時までの一年につき一個の思い出の品(例えば、母親から書いてもらった格言の色紙やスクール水着など)計30層分納めたものの頂点に、12×10cmほどの透明樹脂による家を型取ったオブジェを乗せた作品を高さ55cmの木製の台座に置いたものおよび、発泡スチロールの表面にに紙粘土と石膏を混ぜてクリーム色に彩色したものをコーティングしてつくった、前記の積層する立体のモデルとなるような10〜20cmほどの小さなオブジェ10点を、高さ 105cmの同様の木製の台座に並べたもの、さらに、作者が幼い頃から家に取ってあったトランクやかご、はがき、置き物、その他のさまざまなものを4カ所に分けてギャラリーの床に点在させたものによる展示を行った。 前にも述べたが、この展覧会は、二人がそれぞれイメ−ジする「家」のかたちを空間に配置することで、概念としての「家」をギャラリーに出現させるというものであり、そうした中で、やや無機質的な阿部尊美の作品と、きわめてプライヴェートな大塚明美の作品が並置された展示が行われたのであるが、阿部の作品で使われた「音」における、無機的ではあるが他人の家を覗くようなプライヴェートな部分が、大塚の作品が醸し出す雰囲気と重層的に重なり合うことで、決して力強くはなく空気のように漂うものではあるが、概念としての「家」のイメ−ジが形ある存在として空間に立ち現れていたのではないだろうか。 |
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阿部 尊美 作品 |
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大塚 明美 作品 |
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滝 みつる 展 『Social Picture Puzzle』 2001年6月5日(火)〜6月10日(日) 「写真と言語、二重のイメージを介して」 大阪、京都など、主に都市を撮影したカラー写真計17点で構成された展覧会。39.5×55cmに伸ばしたプリントを2枚の透明アクリル板にはさみ、アクリル板の表面にはそれぞれの写真のイメ−ジをある範囲で限定させる短いことばが、透明フィルムに印字した和文と英文を上下に並べた形で、写真に重ね合わせるようにして、ある部分に貼られている。被写体とテキストの組み合わせは、例えば鳩の群れを撮った写真では『青い鳥』の群れ(a flook of "blue bird")、赤い鳥居の写真では「神の国の予感」(以下英文省略)、ふぐのアップ写真では「ある酸欠死」、地下道脇の水路の写真では「都市透析装置」など、写真ととことばは付かず離れずの距離を保つことで、写真のイメ−ジを具体的に限定しながらも観客に異なるさまざまな印象を受け取らせる。 また彼の作品は、フォーカスを著しくボカして撮影することを大きな特徴としているが、観る者の視線を画面上で立ち止まらせないこうした技法は、写真と印字されたテキストとの間に横たわる小さなズレをことさら強調させ、一つの作品が多様なイメ−ジを生み出す可能性を高めているのである。 |
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Gallery ART SPACE Produce 『THE LIBRARY 2001』 2001年6月19日(火)〜7月15日(日) Gallery ART SPACE では、1994年から2000年までの7年間、1995年以降は京都のギャラリ−そわかとの共同企画によって、本の形態を持つオブジェ作品としてのア−ティスト・ブックの展覧会『THE LIBRARY』を毎年開催してきました。 第8回展となる2001年は、東京・Gallery ART SPACE での展示の後に、7月24日(火)〜8月5日(日)の間、京都・ギャラリ−そわか(075-691-7074)にて巡回展が開催されますが、ギャラリーそわかでは4室ある展示室の他の3つを使い、河田政樹および清水克久による、『本』をテーマとしたインスタレーション作品の個展がそれぞれ行われるほか、公募によるヴィデオ作品のアンデバンタン展が同時に開催されます。 今年の参加者数は以下の170名です。 朝比奈益代/東身江子/安食高志+木村史子/飯島敬子/池田容子/池田麻里/石田敦子/石原穂/一樂恭子/糸桜ゆかり/稲垣美輪子/井上陽子+家弓侑子/今井真帆/今里京子/芋畑由美子/上原亜理/A子/a−dash factory/大沢美恵子/大隅圭介/大塚洋一+MAKOTO/大野明代/大橋あかね/大原朋美/岡博美/岡部文/岡みき子/岡本明子/奥山三彩/織田真雪/落合由佳子/尾上正樹/小野崎映/小野寺麻由/小野直子/加賀美裕子/かずき/かとうくみこ/嘉堂志津恵/金崎由紀子/金子恵美/川口大輔/川本史織。/缶々商社植樹祭/菊地仁美/岸田宗子/木沢和子/木島朋恵/岸恵美/北村カオリ/北村誠/城戸みゆき/岸恵美/木下英大/木村恭子/木村俊幸/木村美代子/国嶋素香/國松万琴/久保かずよ/黒川のり子/黒澤豊/くわたひろよ/芥子川亜紀/小泉輝代子/古賀昭子/小寺一輝/小藤郁子/小林煌/小林宏道/小林真理/小山茂美/小山まゆ/酒井優子+新田慎二/坂下恵理子/坂下信子/坂部奈緒/桜井ゆかり/佐藤敬子/佐藤由美子/佐の友/庄司恵/島田泉/しまりす/白うさぎ/shin−ya b./杉田尚美/鈴木恒成/鈴木比奈子/鈴木文枝/鈴木雅子/関野宏子/世良麻貴/副島章弘/sora/高野真砂子/高橋究歩/高橋みずき/高橋理加/竹内陽子/武田真由美/多田いほ子/多田みさ子/タナベマサエ/千葉倫子/塚本幸子/つちやゆみ/遠海紅平/土手塚陽子/富松亮/中川るな/長沢暁/中島登朋子/長田祐子/仲子亜未/中村江位子/中村友紀子/成平絹子/西岡美代子/西尾由起+西尾彩/西口陽子/ハザマヨウイチ/橋本計代/長谷川迅太/服部綾/浜田涼/早川由梨/平本昌子/広井法子/廣瀬剛/福井周子/伏見美保/舟久保文恵/古川千鶴/古瀬えり子/bogue products./細貝浩子/ 細見忠嗣/本田優子/松尾真実/松田圭一郎/松田良子/松村徳子/松本たみ子/儘田ミネ子/mamemame/丸岡永乃/丸林佐和子/丸山ゆき/丸山陽子/水田佐智代/溝潤子/南遊/宮井喜久子/ムカサリツコ/musuhira/村田香/モトキシノブ/森勢津美/森恵美/森口倭大子/森重麻美/矢代僚子/安江康/安純子/矢田辺寛恵/山口百子/山崎香織/山脇えり子/横山一憲/吉田政子/よもぎ/和田香土 |
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山中 智久 展 『覆い隠すことにより』 2001年8月7日(火)〜8月12日(日) 「円」の反復によってイメージが生成された絵画作品による展覧会。筆のタッチに伴うクリーム色の不定形が青の円形からはみ出した9つのイメージが、3列×3行のグリッド状に並ぶ、180×180cmの油彩作品1点および、円形の一部を開け放した形のイメージが描かれた40×40cmのパネルが、グリーンとパープルをそれぞれ地と図とする色彩を交互に入れ替えて反復しながら横一列に並べられた作品、180×270cmのパネルに並べて描かれた48個のパープルの円形の上に、背景とわずかに明度が異なる濃いアイボリーの不定形が重なり、この不定形のイメージが円形の地からはみ出して縦方向につながってゆく作品、27cm四方のアイボリーの地のパネル上に描かれたつや消し黒の円形の上に、背景と同色の不定形をタッチを伴って重ねることで、黒いふちの一部がそこに痕跡として残されたかたちのものを、8列×5行の計40枚分グリッド上に並べて構成した作品、180×130cmの縦長の赤い画面に濃いアイボリーの円形が24個描かれ、所々で十字形に交差する背景と同色のイメージが円の上を通ることで、この円形自体が解体されてゆく作品、濃いパープルの地にグリーンの円形が描かれた小作品という5点のアクリル絵具の絵画によって展示が構成された。 これらは、円形をもとにした図の部分とそれに絡み合う地の部分、さらに背景という3つの要素が、時には色彩の操作によってそれぞれの配置を入れ替えながら渾然一体となり、「かたち」としては認識できないような不思議な存在感を持つイメージを画面上につくり出している。色彩にかたちを解体させて平面上に二次元的ではないイリュージョンを構築すること。これが作者のねらいであるように思われる。 |
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西村 美智子 写真展 『Street Paradise』 2001年8月21日(火)〜8月26日(日) 「アジアのストリート」をモチーフにタイとラオスで撮影したカラー写真による展覧会。会場は、59×39.5cmと54×35.5cmの、パネル張りされた写真作品34点を、3列×3行、計9点のグリッドのかたまり3つと点在する7点を配置することで構成されているが、すべての写真が鮮やかな色彩で彩られていることに加え、9枚一組のかたまりの内で中央の一枚のみに異なったサイズのパネルを配する工夫が、このかたまりに渾然一体とした印象を与えることで、アジアの豊かなる混沌が表わされているように思われる。 被写体は主に、子供や時には老人の顔がカメラのレンズを見据える様をクローズ・アップでとらえたものだが、そこに「道」そのものをや室内の光景も数点加えられている。ところで作品の多くは、少年と夜の街、少女の顔のアップと人の輪、犬と街角、塀を飛び越える少年など、クローズ・アップされた主題のぼかして背景にフォーカスを合わせた方法で撮影がなされているが、これによって、被写体自体の生々しさと共に作者が旅する「速度」を同時に感じ取ることができるのである。 |
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Gallery ART SPACE Produce Frontiers Vol.23
『独りかたり』 [芥子川 亜紀・酒匂 あい・冨松 亮] 2001年8月28日(火)〜9月2日(日) この「独りかたり」は 、作者の日常の中で日記を書くようにして日々つくり出された絵や写真、ことば、あるいは日記そのものをもとにした、芥子川亜紀、酒匂あい、富松亮の3名の作品によって会場が構成された。 芥子川は、「猫」「花」「街角」等を題材とし、時には文字が表面に直接手書きされ赤みが特に強調された写真のカラーコピーを、主にB4大のボードに貼ったものと、詩のことばを同じくボードに貼ったもの計15枚を壁に配し、さらに同様のモチーフによる写真と詩で構成した11冊の手作りの本と、62×45cmという巨大なサイズの『花々しきえほん』と題した本の展示を、酒匂は、セルフ・ポートレートとも取れる女性像を、水彩あるいは色鉛筆による淡い色彩と細やかで美しい輪郭線が印象的な絵を、ポストカード大〜A大のスケッチブックに描いて破り取った作品9点と、同様の絵に文を加え、自分自身の見回りのことや友人のこと、飼犬「ハナ」との生活や働いていた喫茶店のメニューのレシピなどを日記の形式で本として綴じた7点による展示を、富松は、110×1000cmのロール紙に野球選手のポーズや建物の立体図、コミック調の絵や小泉首相の似顔絵など、実に細かい絵を黒や青、赤、黄などの細いペンで無数に描いた作品を壁に5mに渡って貼ったものと、同様の絵を全十巻の文庫本スタイルのノートに収めた作品をそれぞれ展示した。 |
芥子川 亜紀 作品 |
酒匂 あい 作品 |
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冨松 亮 作品 |
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田中 良典 展 『スマイル零戦』 2001年9月4日(火)〜9月9日(日) 6号から50号大までの絵画作品10点による展覧会。それぞれの作品は、広い色面はアクリル絵具を使用しているが、モチーフにあたるその他の部分では色鉛筆でキャンバスに描き込むことを特徴としており、扱うモチーフによってここでは4つの傾向に大別することができる。 制作された順を追うと、一つは画面いっぱいに女性のポートレートを艶かしく描いた2点の作品、もう一つは、零戦と富士山と拳銃の打ち合い、兵隊と映画のシーンとサッカー選手、あるいは抽象的なかたちの丘に描かれた101匹の犬など、さまざまなものを緻密な描写で一つの画面に脈略なくミックスさせて収めた5点の作品、さらに空白の「吹き出し」を添えた、4点一組のものを含む2点の作品、最後は、ピンク色の背景に「ワニ」が陰影を伴って黒の鉛筆で描かれた1点である。 キャンバスに鉛筆で描くことで生まれる薄目の色彩のトーンは、モチーフ自体がコミック的に扱われていることも手伝って、遠目に見ると印刷物に現れるスクリーンを連想させるが、マス・メディアの手法を手作業で丹念に模倣してつくられたともいえるこれらの作品は、デジタル化が突出的に進行した今の時代におけるポップ・アートの回帰の姿なのかもしれない。 |
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『CHEEKY 〜広がりつつあるジュエリーの見えなかった領域〜』 2001年9月11日(火)〜9月16日(日) ヒコ・みづのジュエリーカレッジに在籍する飯作哲也、猪崎千夏、橘谷真樹子、筑後寛子の4名による、素材やかたちのつくり方などの点で従来のジュエリーの範ちゅうを超え、新しい領域を目指したジュエリー作品による展覧会。 飯作は、古びた感じに仕上げた骨太のリングに、例えばパトカーの屋根など「トミカ」(ミニカー)の一部分をそれぞれ取り付けたものを透明アクリルのケースに納めた作品5点による展示を、猪崎は、ジーンズのズボンを細かく解体して取ったさまざまな素材によるアクセサリー、例えば裏地のステッチを生かしたリングや繊維をほどいてつくったネックレス、ファスナー部分によるブローチなどを、白い布地を貼ったパネルや台に多数レイアウトした展示を、橘谷は、例えば家やカサ、椅子、鳥カゴなどのかたちを模すことで「物語性」を感じさせるものや、落書きのような手書きの線をそのまま再現したようなもののシルエットを、本来はジュエリーを固定するときに使用する非常に細いスティール・ワイヤーでつくり、それらを同様の繊細なラインで表現したチェーンにつないだネックレスやブレスレット計9点を壁にレイアウトした展示を、筑後は、コカ・コーラやBOSSの缶コーヒー、アリナミンや胃腸薬など、市販されているさまざまな種類の缶やビンの一部分から、缶の絵柄やロゴを生かして5mm〜2cmほどの半球や四角形のかたちをつくり、金属性のリング上でそれらが自由に付け替えられるような工夫を施したもの計200個ほどを、色彩豊かに壁にレイアウトした展示をそれぞれ行った。 |
飯作 哲也 作品 |
筑後 寛子 作品 |
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Gallery ART SPACE Produce Collaborators Vol.2 『ゆるやかなかたち』 [三浦 謙樹・村田 香] 2001年9月25日(火)〜9月30日(日) Gallery ART SPACE のコーディネートによる二人展のシリーズ「Collaborators」(2001年〜2003年にかけて計24会期開催予定)の第二弾。 この「ゆるやかなかたち」は、かたちの曖昧さがイメージの多様性を生むということを身をもって示すような作品を制作している三浦謙樹、村田香の二人によって行われた展覧会である。 三浦謙樹は、ポストカード大の和紙に黒の水性ペンで小さな点を延々と穿つことで、「樹木の枝」や「木の実」を象徴するような長細および丸のかたちを表わした作品を、壁にタテ17×ヨコ6列グリッド状に貼ったものや横一列数枚を並べたもの、黒い台紙に何枚かを一組に貼ったもの、多数を1m×2mほどの範囲で床に敷きつめたものなど、数百枚にもおよぶ点描の葉書によって展示を構成した。 一方村田香は、「家」を模して型取りでつくった黄色などのパラフィンのオブジェ数点と、同様のものを白い布で包んだり、裏返したパネルの内側にパラフィンを塗ったものと「家型」を組み合わせた作品、同じくパラフィンを表面に塗布して架空の景色を象徴するようなイメ−ジを表わしたパネル作品、白の背景を主体に赤い絵具によるイメ−ジがわずかに見え隠れする2点一組のパネル作品、B5版のルーズリーフノートを破り取ったものにペンなどで絵やことばなどを走り書きしたもの21枚を壁に並べた作品、同様のイメ−ジを18頁の本にまとめ赤で塗ったキャンバスの表紙で綴じた作品などで展示を構成した。 両者が作品の中で表現しているイメージは、あるものを象徴しているようにも見えるがそれが何であるかははっきりと確定できないような、不明瞭な「かたち」によって主に表されているが、それは作品を観る私たちに、創作の一部に参加して作品のイメージを完成させるといっても過言でないほどの、自由な想像の力を与えてくれるのである。 |
三浦 謙樹 作品 |
村田 香 作品 |
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2001年10月9日(火)〜10月14日(日) Aoyama Killer Company 『OVER TEH ROAD』 毎年開催され13回目となる、デザイナー等によるグル−プ展。今年は以下の14名が参加して行われた。 東身江子:パネルの裏側に金網を張った上から絵具を塗ってモザイク状のイメ−ジをつくった2点の作品。/一樂恭子:青空と地平線の上にチャックの付いた巨大な絵の具のチューブを描いた、シュールレアリスティックな油彩の作品。/大橋あかね:50個の布製の「カエル」を来場者が50円を払って一個選び、それを手すき紙のおみくじと交換して持ち帰るという作品。/桜井ゆかり:妖艶な女性像樹木の切り口や板に描いた大小9点の作品。/佐野友:タテ長の薄い紙に、鯉のような鱗を持つさかなの姿を墨で描いた作品。/篠原誠司:渦を巻くようなかたちを、水色と白のアクリル絵具による無数の「線」で表した作品。/しまりす:広い空をかすめて横切る電線や看板を撮った写真をもとに薄緑色にプリントした2点の作品。/妻川直子:透明アクリル板に、木の葉の葉脈やギャラリー周辺で撮った写真、絵具によるイメ−ジがはさみ込まれた作品。/原田泰男:鉢に活けられた花など、様々な植物を水彩で描いた6点の作品。/穂積実:「かもめ」や「つる」などの鳥類を細かい「千切り絵」で写実的に表現した4点の作品。/宮川哲也:猫の様々な姿をカラーおよびモノクロの写真で表現した9点の作品。/山崎徹:丸まった犬など、円形のかたちをモチーフにクレヨンデ描いた大小4点の作品。/渡辺康秀:自身が仕事でデザインした様々な企業のマークなどを出力した17点および、自作の2002年版カレンダー。 |
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一樂 恭子 作品 |
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2001年10月16日(火)〜10月21日(日) 『LIFE MUSEUM』 無印良品製の名刺入れを使用した「世界最小」のギャラリ−[ART SPACE LIFE]の開廊一周年を記念して行われた展覧会。以下の12名が、すでに公開済みの「名刺入れ」の作品および今回のための小作品、作品ファイルを出展して展示が行われた。それぞれの解説は、まず最初に名刺入れの作品、その後に小作品について記している。 木村恭子(2000年11月開催):木の皮や紙などを素材にしてつくったものをくりぬいた中心に月を象徴するイメ−ジが埋めこまれ、扉の内側に「ひとすじの光導かれて森の中へ」ということばが記された作品。/わらや木の葉を素材に「鳥の巣」のようなかたちをつくったオブジェ作品。 小林真理(2000年12月開催):植物の実の部分がぞれぞれ「鳥」のかたちをした絵プリンとした紙の裏に古語によることばが記された4点が収められた作品。/丸みのある葉を表現した絵に作者独自の文字によることばを添えた銅版画の作品。 朝比奈益代(2001年1月開催):モノトーンの線や淡い色彩のにじみをもとに表現した銅版画にそれぞれ短い物語を添えた、「世界のはじまり」と題する7枚一組の作品。/流れるような黒の線が束になってかたちを表した2点の銅版画作品。 石原美和子(2001年2月開催):蜜ロウでできた小さなベッドと半円形のチーズが名刺入れの内側の天地に取り付けられ、さらに、表面にロウを塗った蛇腹織りの紙に青色の「くじら」などを描いたものが収められた作品。/蜜ロウでできた小さなベッドに「花火」を埋め込んだものが、それぞれ透明アクリルの容器や細長いガラス管に収められた3点の作品。 藤原靖子(2001年3月開催):名刺入れの外側を塗装して「明治チョコレート」をもじった「i Mage Chocolate」のパッケージにつくりかえ、中にはドアのかたちを模した木製の「板チョコ」を銀紙に包んだものを収めた作品。/「ボンカレー」をもじって、「ボブ・マーレー」など、3つのキャラクターをそれぞれ使ったパッケージを描いた平面作品。 河田政樹(2001年4月開催):自身の名前を小さく彫った名刺入れの中に、この名刺入れを買ったときに商品を包んでいた「無印良品」の透明ビニール製パッケージのみが収められた作品。/「LIFE」と題するテキストが、表面に赤く盛り上がった文字で一枚の原稿用紙に刻まれた作品。 村田香(2001年5月開催):戦車の砲塔を模したようなかたちをつくりつつ白いパラフィンで名刺入れ全体を覆い、内部に赤い布を貼った作品。/パネル上にパラフィンで赤い「舟」のかたちを表した作品。 西尾彩(2001年6月開催):カーブなど、名刺入れの内部とぴったり同じかたちにつくった、小さな円形のマーブリングが美しい極小のブックケースに、色とりどりの「洋菓子」の写真で構成した豆本が収められた作品。/季節ごとの食べ物をテ−マにして絵と文で構成した、「Wabi Sabi」 と題する版による2冊の小冊誌。 高田千佳子(2001年7月開催):わずかしか開くことのできない薄手の名刺入れを覗くと、扉の内側には細い「はしご」の様なものが貼り付けられており、それが逆の内側に貼った緑色のフィルムに映り込んでV字を折り返すようなイメ−ジを見せる作品。/紙でできたバラの花が赤い筒に乗って壁に取り付けられた作品。 MAKOTO(2001年8月開催):左側が赤、右側が青の2連の透明のカラー板を両目にあて、自作の名刺サイズの立体画を覗き見という4点の作品。/8面それぞれに線による絵が描かれたさいころ12個を来場者が振り、そこから連想できる物語を備え付けの紙に書き留めるという作品。 関野宏子(2001年9月開催):黄色や緑、青、赤などのフェルトを素材とする有機的なかたちの小さなものが十数個詰め込まれており、それを組み上げて自由にかたちをつくって遊ぶことができる作品。/有機的なかたちの穴をつなげて内側の構造がつくられた茶色のフリースによる楕円のレリーフに、同じ素材によるさまざまな色とかたちのオブジェを来場者が取り付けて自由に遊ぶことができる作品。 坂部奈緒(2001年10月開催):外側には白い綿を、内側には水色の布を貼った名刺入れの中に、さまざまな絵やかたちを描いた1cm四方ほどの小さな布が多数収められた作品。/デニムのズボンを切り取ったものをベースにしてさまざまな小物を貼り付けた作品。 |
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木村 恭子 作品 |
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関野 宏子 作品 |
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西尾 彩 作品 |
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2001年10月23日(火)〜10月28日(日) 大前 好一 展 『相愁』 段ボール板の表面を彫り込むように格子状などにカットした上から、黒や白などのモノトーンをベースに黄色や赤などをアクセントとして加え、マーカーやペンなどで主に「ビル」を象徴するイメ−ジを描いた、9点のペインティング作品による展覧会。 展示は、「ビル」を描いたヨコ120×タテ180cmの大画面の作品4点とヨコ60×タテ180cm のもの計5点のほか、段ボール板の全面に細かい切り込みを入れた上から、それぞれ群青および赤をベースとする絵具で画面を覆った、ヨコ60×タテ90cmの重厚な2点の作品、黒の背景に扇形の切り込みを入れその内側にオーカー色でイメ−ジが描かれたヨコ60×タテ90cmの作品で構成された。 これらは、大画面の作品では画面の一部が段ボール地のまま残され、その他の作品では表面が細かく切り刻まれることによって、通常の絵画では味わえない立体感や作者の手の痕跡を感じ取ることができるのである。 |
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2001年11月20日(火)〜11月25日(日) 写真グループ「sunkisst」 『七輪車』 岩田公章・高根澤史生・飯田克彦・徳永雅美・渡辺一美・小野澤茜・山田浩司による写真の7人展。それぞれ2枚一組(一名のみ3枚一組)でメタル・フレームを使って額装することで展示全体の統一がなされた、作品を「観る」ことに集中できる展覧会だった。それぞれの作品は以下の通り。 岩田公章:波打ち際、女性の顔、花、彫像などを、黒と白のコントラストの強弱を共通項として並べた計10枚5点の作品。/高根澤史生:表情など同一人物が表す僅かな違いを追って2枚一組とした、計8枚4点の作品。/飯田克彦:展望台の望遠鏡と街の俯瞰図など、近景と遠景を巧みに組み合わせた計6枚3点の作品。/徳永雅美:路上や動物園、室内など、「陽光」のを強調しつつ日常を撮った計10枚5点の作品。/渡辺一美:街灯やマンションの灯りなど「光の点」のみが漆黒の暗闇に点々と残る計8枚4点の作品。/小野澤茜:主に日常の光景を撮った9×6cmほどの小サイズのカラープリントを3枚一組で額に収めた、計15枚5点の作品。/山田浩司:口を開けた「鯉」のアップのカラー写真を2枚一組としたものおよび、同様の写真をCDケースに収めたもの18枚をギャラリーのドアに貼り付けて構成した作品。 |
徳永 雅美 作品 |
高根澤 史生 作品 |
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2001年11月27日(火)〜12月2日(日) 『instrument as a possibillity』 河辺栄一と笹岡龍太郎によるコラポレーション。 ほぼ暗闇のギャラリ−には、弱い光が照らす2つの立体の姿が浮かび上がっている。手前は河辺栄一による作品。50×50×120cm ほどの金属製フレームの直方体に、透明アクリルと金属片などでできた50×50×20cmほどの素通しの構造体が乗せられたもので、ここには、青色の微弱な光を放つ発光体を左右と前後の2方向にそれぞれスライドさせる2台のモーターが組み込まれており、センサーが来場者を感知してスイッチが入る仕掛けになっている。さらにこの構造体の内部は、黒の色面あるいはドットや墨流しのようなパターンが描かれた十数枚のアクリル板で間仕切りされており、これらを照らしながら発光体が移動してゆくことで、ローリングするように壁面や床を這う青い光による影が、暗闇のギャラリ−に投射されるのである。 一方、床に置いた照明を受けてギャラリ−の奥に大きなシルエットをつくる笹岡龍太郎の作品は、金属板による構造にビニールレザーのシートを張ったリクライニング・シートの足下からアームが伸びており、その先端には『TV SIRCLE 2』と題するヴィデオ作品を映し出すゴーグルが取り付けられているというものである。そして、シートに座りゴーグルを装着した来場者は、『What do you want』という語が反復して流れるモノトーンのアニメーションを、ヘッドフォンから流れる音響と共にこの暗闇の中で体感することができるのである。 |
河辺 栄一 作品 |
笹岡 龍太郎 作品 |
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2001年12月4日(火)〜12月9日(日) Gallery ART SPACE Produce Collaborators Vol.3 『絵画という痕跡』 [中西晴世・平原辰夫] 支持体に絵画が描かれるということは、制作者が意識の中でつくり上げたイメージに可視のかたちを与えることを意味すると共に、同様に作者の意識の下に統御された制作のための身体の動きや制作に費やされた時間など、造形性とは異なる範疇にあってなおかつ作品が生まれるためには必要不可欠な要素が、画面に「痕跡」として刻まれることを同時に意味するといえるだろう。今回の『絵画という痕跡』は、自己のイメ−ジを主張しながらも絵画の自立性を目指していると考ええられる中西晴世と平原辰夫の二人の作品によって構成された展覧会である 中西は、14.5×18.5タテ長で4.5cm厚 のにかわで地塗りした綿布のキャンバスに、アクリルがっシュを主体に日本画や油彩画用の顔料を併用した絵画の小作品39点を、壁や床にレイアウトするという展示を行なった。赤や黄、オレンジ、緑など多種多様な色彩を使用したそれぞれの作品の多くは、画面のほぼ中央に円形に似た色の塊を配し、そこから何かがしみ出すように色彩が拡散してゆくような印象を感じさせる。そしてそれらは、キャンバスの厚みがつくる存在感に助けられながら、その枠からもはみ出して観る者の視覚の中で混ざり合い、作者の意識の中にありながらも一つの画面には描き切れなかったであろう彼女の「絵画」に対するトータルなイメ−ジをかたちづくるのである。 一方平原は、数枚を貼り合わせて厚みを持たせた和紙を素材にして、周囲を切り取るなどして不定形の支持体をつくり、そこにスポンジを使ってアクリル絵具を塗布する手法で制作した、60〜120cm ほどの大小のレリーフあるいは壁掛けの立体にも見えるような7点の作品による展示を行った。それぞれの作品は黄色や赤の絵具で覆われているが、その色面は均一でありながらも、所々でスポンジ特有の「ぼかし」がほどこされており、紙ではなく布や時には錆びた金属にも見えるような独特の物質感を創出している。さらに、単に壁に設置されるだけではなく、作品によっては筒状に丸めることでその裏面も見せたり、壁に対してゆるやかなカーブを付けた展示は、絵画と彫刻を併せ持つような性質を作品に与えているのである。 両名の作品は、絵画としてのイメ−ジをもとにしながらも、支持体自体がそのイメ−ジと一体となって一つのモノとして成り立っているという共通点を担っている。そしてさらに、二人の作品が一つの空間を共有する姿を目の当りにすることで、「絵画」は色彩やかたちだけに表されるのではなく、支持体を含めたその存在自体もイメ−ジを表し得るという事実を発見できたのである。 |
中西 晴世 作品 |
平原 辰夫 作品 |
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2001年12月11日(火)〜12月16日(日) 東京綜合写真専門学校・小林のりおゼミ展 『Candy Drop』 東京綜合写真専門学校・小林のりおゼミの学生による写真のグル−プ展。以下の15名が出品した。 稲葉幸辰:ドイツの街の光景を大伸しにしたカラー写真とノートPCのモニターに人の顔が浮かび上がる作品。/今井陽子:「部屋」のパーツをクローズ・アップしたカラー写真21点。/大須賀健一:街中の人の表情を独特のフレーミングでとらえた7点のカラー写真と「にわとり」の大伸しの作品。/神田賢一郎:街で偶然写し込まれた「老人」の表現をもとに構成した4点のカラー写真など。/木村亜沙美:部屋でねころがる2人の女性の姿をもとにした8点とカラー写真。/九鬼成治:照明器具などを抽象絵画のように表した4点のカラー写真。/黒木千春:部屋の中での下着姿の女性をモード写真風に撮ったモノクロ作品。/紺野亜紀子:虫が蜘蛛の巣にかかったマクロ写真を100×150cmほどのキャンバス地に大伸しして天井から吊った2点の作品。/佐藤洋子:ねころがる二人の女性の「脚」を撮った4点と女児が食事をとる姿をとらえた4点の連作写真。/鈴木竜馬:男女一名ずつのポートレートと団地を撮った2点を組み合わせた計4点のカラー写真。/高橋孝幸:「金魚」や「頭髪」など日常の中で見つけた色彩をもとにした3点のカラー写真。/永沼敦子:電車の中の人々のからだの一部をクローズ・アップした8点のカラー写真。/村田圭:錆びた機械の写真の黄色味を強調した2点の作品。/望月幸太郎:都市の雑踏を撮った強い色彩の20点のカラー写真。/吉田圭:崩れた廃屋にヌードの女性が見え隠れする3点のモノクロ写真。 |
紺野 亜紀子 作品 |
鈴木 竜馬 作品 |
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2001年12月18日(火)〜12月23日(日) Christmas Show 2001 『フユノソウ』 毎年この時期に開催しているGallery ART SPACE 主催のグル−プ展。今年は以下の22名が参加して行なわれた。 石原穂:和紙に切り絵で物語を表した「ふゆの想」と題する本。/一樂恭子:空に向かって伸びる樹木を油彩で描いた縦長の絵画。/上原亜理:丸まったり伸したりできる「ゆきむし」の白いオブジェを天井から吊ったり床に置いた展示。/大沢美恵子:動物園で小動物を撮ったモノクロ写真5点。/尾川原美和:版画のイメ−ジをもとに出力した多数の紙片をコラージュシした作品。/金武明子:バービー人形の着せ替え用衣装を多数縫い合わせて天井から吊るした作品。/叶野千晶:ポストカード大の旅の写真や詩編をまとめた小冊子を多数透明ビニールのウォールポケットに納めた作品。/桜井ゆかり:生木の板に女性の姿を描いた作品。/佐の友:破り取った2枚のノートに鉛筆の手書きで綴ったことば。/篠原誠司:南の浜辺を撮ったモノクロ写真。しまりす:プリントに細工を施した4点の写真。/清水義夫:縦長のパネルに激しいタッチのペインティングやコラージュを施した大小2点の作品。/調:紙に絵の具で抽象的なイメ−ジを描いた作品。鈴木比奈子:無彩色の線描を中心に物語を描いた3点のゴム版画。/関野宏子:床に置いた塔のような紫色のフリースのオブジェに自由に小さなパーツを付けてゆく作品。/高橋究歩:「氷河期の思い出」と題するマンモスの絵を使った小さなオブジェ。/瀧本裕子:小さな角材を組み上げてさらに降ると音が出るようにしたオブジェ作品。/田中良典:都市の景観と一台のタクシーを色鉛筆などで簡潔に描いた作品。/遠海紅平:人物の姿をもとに構成したペインティング。/舟久保文恵:「笑った」人の顔を象徴するかたちの陶版数十枚で構成した展示。/三浦謙樹:和紙の上に黒のペンの点描で多数の不定形の「かたまり」を描いた作品。/横山一憲:自分が生まれてからの自身と家族の「歴史年表」をオブジェと共に展示。 |
金武 明子 作品 |
高橋 究歩 作品 |
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2001年12月25日(火)〜12月30日(日) 『familiar』 東京工芸大学デザイン科の6名による展覧会。それぞれ以下のような作品を出品。 小野寺重紘:「僧侶」「鬼の小人」「紙袋で顔を隠した人」をそれぞれプロポーションの細い布の人形としてつくった3点の作品。/小林勇介:文字や模様、鳥のかたちを反復して画面をつくった2点の作品。/坂田琴江:女性や青空、夜の景気を撮ったカラー写真計5枚と、モノクロ写真15枚をまとめた本で展示を構成。/トヨダミオ:小さなパネルに「線」を多用した絵を描いた5点の作品。/御手洗雄介:全倍の大型パネルに食事をする男をモチーフとするイラストレーションを描いた作品。/吉田美穂子:花や人、幾何学的なかたちをもとに赤い画面と青い画面に描き分けた2点の作品および、紙の箱の内と外を絵や写真、布で装飾してつくった大小4点のオブジェを天井から吊ったパネル上に構成した作品。 |
御手洗 雄介 作品 |
小野寺 重紘 作品 |
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2002年1月16日(水)〜1月20日(日) 松下 倫子・深海 文 『デビュー展』 東京造形大学で彫刻を専攻している松下 倫子と深海 文による2人展。 深海は、直径90cm×高さ130cmほどの、「富士山」を模したようなによる円錐形の立体(「A」)および、スリムなプロポーションの木彫による100cm 強の女性の胸像に英文字を記し(「Montanya de Montjuic/Spain/AIR MAIL」)紙のスタンプを貼ったものを木の台にのせた作品(「POST CARD 〜モンジュイックの丘〜」)、さらに枝にとまった烏を木炭で描いたものを額装したタテ長50×60cmほどの作品(「貧しいカラス」)を、一方松下は、木枠に20Wの蛍光灯4本を組み込んだ上から波形の布を重ね、内側から光が透けるようにしたレリ−フ作品(「描かれた幻」)および、幅20cm×高さ50cmほどの大理石による有機的なかたちの「花器」の口に、同様の素材による多数の小さな(幅10cm×長さ4cmほど)「花ビラ」を差し入れて「菊」のようなかたちを表したオブジェ(「a sacred promise」)を出品した。 またその他に、「首飾り」のかたちの小作品も両名によってそれぞれ展示された。 |
深海 文 作品 |
松下 倫子 作品 |
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2002年1月22日(火)〜1月27日(日) Gallery ART SPACE Produce Collaborators Vol.4 『空(クウ)の重さ』 [木村 あや子・多田 いほ子] 絵画における「余白」の在り方をテーマにして企画された、木村あや子および多田いほ子の絵画作品による展覧会。 木村は、130×195cmヨコ長のアクリル絵具による作品2点および、22×27cmヨコ長の小作品を展示した。『風を感じる部屋』と題した120号大の作品では、薄い桃色と白色の絵具を、円心をもとにしたストロークで塗り重ねることで、目立たないながらも力強い「動き」が画面の横方向に表現されている。もう一つの120号大の作品『あたたかな追い風』でもこうした「動」の力は表されており、絵の中心をなす赤系の絵具による色のかたまりの縁の部分を、黄色や紫などが混じり合ったストロークがつくる「流れ」が覆い包むことで、「動き」を含みながら画面が構成されているのである。 ところでこれらは、作者が空想した何らかのイメージを象徴しているのではなく、彼女の身体が絵具で画面を埋めてゆく過程で生まれたある「空気」を表したものであると私は考えている。そして、そうした「空気」の生成を意識下でコントロールしようをする姿勢が、木村の絵画表現を特徴付けているといえるのではないだろうか。 一方多田は、和紙の上に不定形の「かたち」を残してその周囲を白の絵具で塗りつぶし、「かたち」の内側に岩絵具や水彩、色鉛筆などを使って線や面による描写を行った、大小の絵画作品5点を展示した。 『filament:繊条』(114×163cmヨコ長)では、「人」を象徴するかのような「かたち」が青や緑色の色鉛筆で淡く描かれ、20個近くのそうした「かたち」が唯一緑色の絵具で描かれたイメージも含めて互いに手をつなぐように絡み合うことで、ある「世界」が表されている。また、「犬」や「椅子」を象徴するような「かたち」が白の地の上にぽつんと描かれた『flozen chair:霜椅子』や、「地」と「雲」「人」のようにも思える「かたち」が同様にぽつんと描かれた『smoke:煙』(共116×91cmタテ長)では、下地を「描き」図像を「描き残す」という独特の手法によって両者の境界がことさら強く認識されることに加えて、大きな「余白」が画面を占めることで、「かたち」として残されたイメージは、さながら「空気」のように希薄な描写に反して、強い存在感を伴って画面上に表されているのである。 |
木村 あや子 作品 |
多田 いほ子 作品 |
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2002年1月29日(火)〜2月10日(日) Gallery ART SPACE Produce 『共同アトリエ』Vol.1 [古賀 昭子・鈴木 比奈子・廣中 薫] この展覧会は、通常のグル−プ展とも公開制作とも大きく異なっており、古賀 昭子、鈴木 比奈子、廣中 薫の3名(Gallery ART SPACE が選んだメンバーで、それざれ初対面)が、ギャラリ−の空間を2週間限りの共同のアトリエとして使い、来場者がそれを「目撃」したり、時としてその場に「参加」するというもので、実際に会場に来てみて初めて何が行われているかわかるという企画である。 古賀は、人や動物や景色を題材に余白を多く残しつつ、A4サイズの水彩紙に色鉛筆とアクリル絵具を使ってはかなげな線や色で簡素に描いた20点余りの作品を、自宅から持ち込んだ木の机の上で制作した。 鈴木は、最新の20頁の絵本「散歩する」の原画を展示し、さらにその本の製本作業を行うのと平行して、座蒲団に座って次に制作する予定の本の原画をA4サイズの紙に鉛筆で7枚ほど描いた。 廣中は、床に大きなビニール・シートを敷き、時には段ボールの破片を貼り付けた30〜100号サイズのキャンバスに、蛍光色など鮮やかで多彩なな色のアクリル絵具を使い、さまざまな模様や文字にも見える線やさまざまな色が自由に氾濫する絵画10点近くを制作した。 また、会期の初日と6日目には、壁面に貼った紙やキャンバスに3人が「共同制作」として絵を描くということが、一定の時間行われた。 |
古賀 昭子 |
鈴木 比奈子 |
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廣中 薫 |
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2002年2月12日(火)〜2月19日(日) tarbots Vol.2 『ふたこと目には』 飯田理、大橋亮、、中川千恵子、箱山直子、山崎洋昌による写真の5人展。 飯田は沖縄、茨城、岩手、新潟など、人の気配のある浜辺の光景などを撮った6切大のカラー写真8点を、箱山は緑生い茂る庭の光景を強い光と共にとらえた、ロールによる大伸ばしのカラー写真を、山崎は河川敷や浜辺、工事現場など、風景の中に見られる水平線などの「直線」を意識的に強調させた6×6判の9点のカラー写真を、中川は景色の様々な断片を撮ったカラー写真をB5大の紙にデジタル出力した約80枚を壁面にランダムに貼っとものを、大橋はうねるような「ぶれ」を伴って撮影がなされることによって景色の輪郭を強調した6×6判のカラー写真7点および、都市の中の樹木を撮ったキャビネ大のカラー写真数十枚を箱に収めたものをそれぞれ展示した。 |
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飯田 理 作品 |
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2002年2月19日(火)〜3月3日(日) Gallery ART SPACE Produce『共同アトリエ』Vol.2 [黒澤 豊・高田 千佳子・西口 陽子] 公開制作のシリーズ『共同アトリエ』の第二弾。 黒澤は、底に蜜蝋を塗ったスレートのあるバルサ材を格子状に組んである構造体をつくり、その中心部に四角い氷を置いて一日がかりでそれを溶かすことで、そこから生まれた水がスレートを伝って蜜蝋を徐々に浸してゆくという行程を、高田は、カルトン上の紙や壁に留めたトレーシング・ペーパーに鉛筆で線を主にしたかたちを描いたり、布地で造花をつくったり、白いレースのパターンを編んだりといったことを、西口は、パネル貼りした紙に主に黄色や赤系統の色のオイルパステルを使って、何かのかたちが内側に秘められたような色面を描いたり、紙に同様のイメ−ジを描いたものから丸みのある不定形をはさみで切り抜いた作品をつくることなどを、それぞれ作業として行った。 |
黒澤 豊 |
高田 千佳子 |
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西口 陽子 |
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2002年3月5日(火)3月10日(日) 上陸 〜何処から来て何処に向かい何処へ行くのか〜 佐々木環・立松恵理子・本田涼子・松井優香・山脇えり子によるグループ展。 佐々木は、「クラゲ」をモチーフとした大小4点の版画作品および、130cm幅で長さ10mの長尺の紙のところどころに「クラゲ」を描きつつ、それらを覆うように線が増殖してゆくような墨による作品や、中に光を仕込んだやはり「クラゲ」がモチーフの白い紙粘土による作品を、立松は、無人の電車の車内を「魚眼」を通してとらえたような、細かな線による描写が印象に残るボールペンと油彩混用の90×60cmの作品および、裸婦などをモチーフとする10号と8号の2点の油彩作品を、本田は、自身の家族あるいは樹木、植物をモチーフにして、やや渋目の色彩とかたちを折り重ねるようにして描いた、12号〜15号ほどの4点の油彩作品を、松井は、バスタブに全身を浸す女性を、水面の水のゆらぎが強く印象に残る青の色彩で描いた120号大の油彩作品を、山脇は、犬をモチーフとする白の色彩が印象的な8号大の2点の油彩作品および、大勢の人々の顔が記念写真のように室内に並ぶ光景や(60×50cm)自動車の運転席をモチーフとした(44×33cm)、細やかかつ手の温もりのある線で表現した2点の版画作品をそれぞれ展示した。 |
佐々木 環 作品 |
立松 恵理子 作品 |
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2002年3月12日(火)〜3月17日(日) 伊東 理恵 展 『扉』 卵テンペラの技法による絵画の展覧会。「扉」を展示全体のテ−マにすえ、73×103cm 縦長2点、51×73cm縦長1点、50×65cm縦長2点、15×21cm縦長5点、14×18cm縦長6点の大小計26点によって構成された。 各作品のほぼ中央部には、表面部の色層を塗り残して表した「扉」を象徴するかような矩形が見えるが、躍動感のあるストロークで表わされているこれらの矩形と、白亜などを使って濃密かつ均一に覆われたその周囲とのコントラストは、背面にあるはずの矩形自体が前面に飛び出して見えるような不思議な存在感を醸し出している。そして、微妙な濃度差で折り重なり時にはにじむようなマチエールを伴ったこれらの色層は、作品のサイズにかかわらずどこまでも深く続いてゆくような画面の奥行きを生み、観客の意識を象徴としての「扉」のはるか奥へと旅立たせるのである。 |
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2002年3月19日(火)〜3月24日(日) Gallery ART SPACE Produce Collaborators Vol.5 『やわらかな色つぶ』 [七字 純子・新家 裕子] パステルや鉛筆を使って描かれる絵には、ほかの画材には無い独特の味わいがある。油絵具やアクリル絵具などペースト状のものでは、色彩は「かたまり」として表わされるのに対して、たとえばパステルのように、絵具の粒子をスティック状に固めた画材では、さまざまな色の「つぶ」が降り積もるように定着して画面で混ざり合い、作家が意識の中で思い描いたイメ−ジをかたちにして見せるのである。またそれは、作者の「からだ」と密接に結び付いた表現でもあり、あたかもその手の軌跡を画面の上に示すかのように、微妙な力加減が作品の細やかな表情をつくり上げるのである。 今回の『やわらかな色つぶ』は、主にパステルを使って制作を行っている七字純子と新家裕子の作品で構成された展覧会である。 七字は、103×73cm タテ長3枚のパネルを横に並べたものに細部まで濃密にパステルで描くことで、一本の巨木を中心に広がる世界を、細胞のような文様を背景にして空飛ぶ蒸気機関車や木の股に密集する家々などを印象的に表した『イメージの箱』や、空を覆う木の枝の隙間に見える空を縫うように3匹の「エイ」が飛び交う『春を待つ』および、羽根の生えた自動車たちがヘッドライトを灯けてハイウエィを疾走する『何処へ』の、各73×103cm の2点の作品、24×30cmの小品および、白い背景にぼかしてみせるような青の線で架空の人をモチーフとして描いた35×30cmヨコ長2点の作品を出品した。 一方新家は、からだのラインを強調するようなコスチュウームをまとった女性をモチーフとして、上のざらつきを生かすような密ではない塗りつぶしで着衣の部分を描き、はっきりしているけれども存在感を主張しない輪郭線を使って肌の部分を塗り残して表わした、それぞれ緑、紫、青、水色を基調としつつ花や蝶などをアクセントとして添えた、51.5×36.5cmの4点の作品および、42×30cmタテ長のパネルに淡い水色や緑色の楕円を描き、そこに素朴な線と白の塗り残しで女性の日常の姿を描いた5点の作品、そして白の背景を十分に生かしながら、やはりあたたか味のある線でお茶のセットや花、女性を描いた30cm四方の3点の作品を展示した。 七字の作品は濃密に描き込まれた画面が作者の意識の奥深い部分を暗示し、新家の作品は背景を描かずにできる限り地の白を生かすことで、線など作者の手の痕跡を素のままに残しながら、モチーフの人物の微妙な心持ちを表わしているように思われるのである。 |
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七字 純子 作品 (部分) |
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新家 裕子 作品 |
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2002年3月26日(火)〜3月31日(日) 『ちゃんぽん』 梶原幸代、小板橋直子、北村紫、粉奈里衣、勝又祐子による、アニメーション、平面、写真などさまざまなジャンルの作品で構成されたグループ展。 勝又は、主に女性の胸から上の裸身のポートレートの上から「和」の趣を感じさせる文様などを重ねあわせてデジタル処理で構成したA3大9点の作品(『#81』)を、北村は、力のこもった黒の線で画面を分割・構成し、そこに錆のようなくすみのある黄色や茶色、青、赤系統の絵具で物質的な色面を描き込んでいったB2大4点の作品を、粉奈は、植物の姿かたちを匂わせるような輪郭線と彩度を抑えた色彩で画面を構成した、アクリル絵具とクレヨンによる20〜40号大3点の作品(『ぬくもり』『無力』『夢』)をそれぞれ展示し、その他に、梶原は、怪奇とユーモアが混じり合ったキャラクターが、不安定な旋律の音楽に合わせて無人の街で物語を繰り広げる『穴』『穀』『プレゼント』を、小板橋は昔懐かしいような顔立ちの少年が、「私の青空」などの懐メロをバックに風景の中を歩く『ある日』『ブランコ』という各1〜3分のモノクロのアニメーション(小板橋は平面作品も1点出品)、それぞれテレビモニターで映写した。 |
勝又 祐子 作品 |
小板橋 直子 作品 |
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2002年4月11日(木)〜4月28日(日) 写真展 『眼のなかの記憶』 視覚がとらえた景色と写真として写し出された光景。同一人物の意識をもとにかたちづくられたものでありながら、時には全く異なる様相を示す二つの画像に思いを巡らせて企画された、主にモノクロ写真による展覧会である。 6×6判という正方形のフォーマットのカメラで風景を撮影したモノクロ写真による展覧会。Gallery ART SPACE、ART SPACE LAVATORY(トイレ)、ART SPACE bis(本棚)の3つのスペースを同時に使って展示が行われた。 まずGallery ART SPACE では、山形のジャガラモガラ、仙台の奥新川、北海道の上川、京都の上賀茂神社町田の樫の木山で、「道」を主なモチーフとしてそれぞれ撮影された、画面サイズ30cm四方ほどモノクロプリント計12点による展示を、ギャラリ−内に併設されたART SPACE bisでは 仙台、上川、町田の3つの撮影地を選び、それぞれの場所で撮影したほぼすべてのカットをデジタル処理によってネガの原寸と同サイズで透明フイルムに出力したものを一ヶ所につき各一つの箱の内壁にそれぞれ十数枚ずつ釘でピンナップで留め、箱の床の部分には撮影地の地形図を透明フイルムに出力したものをそれぞれ貼るという展示を、事務所内のART SPACE LAVATORYでは、2年前に制作し京都および水戸ですでに発表している、画面サイズ30cm四方ほどのモノクロプリント計14点による寺社の参道を撮影したシリーズを展示することで会場全体が構成された。 |
Gallery ART SPACEでの展示 |
ART SPACE LAVATORY |
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ART SPACE bis |
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2002年4月30日(火)〜5月5日(日) きゅうきゅう【 K y u × 2 】 多摩美術大学および東京造形大学の油画科に在籍する10人によるグループ展。それぞれ以下のような展示を行った。 鎌倉明弘:銀色とピンクの2枚で正方形となる支持体に、プラモデル用の極小の飛行機が整然と無数に並べて貼り付けられた作品。/今野聖子:鉛筆で写真を細密描写したような小さな作品4点。/鴨下紗織:それぞれ手の表と裏を厚みのある支持体に写実的に描写した2点一組の作品。/佐賀永康:直線の交差が画面を構成する、イエローおーカーが基調の油彩作品。/中山俊雄:墨を流すようにして細密な模様を表したモノトーンの2点の作品。/番谷航:横たわる女性の上半身を写実した作品と、人の上半身のシルエットを青の背景に表した作品計2点。/松澤博子:スパイラルな紋様を散りばめた赤の背景の上に請物を描いた50号ほどの油彩作品。/松宮朋子:パステルによるポストカード大の作品を透明の引き出しに多数収めた作品と、来場者が制作に参加できる「えほん」の作品、油彩による2点の小作品。/丸山数理:黄色一色の正方形の画面に、墨で描いたような「!」マークが5つ並んだ作品。/渡抜亮:下着姿の女性のポートレートをハイパーリアリズム風に描いた2点の油彩作品。 |
鴨下 沙織 作品 |
渡抜 亮 作品 |
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以下は、トイレの空間・『ART SPACE LAVATORY』での展示です |
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市川 千香子 展 『GOOD MANUAL BAD MANUAL』 2000年8月1日(火)〜8月13日(日) 凶器(weapon)、意図(mind)、選択(select)、誇り(pride)という4つのキーワード をもとにした展覧会。 会場には、これらのことばを英単語と共にキャンバスにプリントしたものや、それぞれ の文字を黒い布製のサイコロに白い糸で縫いつけたもの、4つの語の辞書の記述を布地に プリントしたものが展示された他、「SAND TIME at:」と題した、反転して印字された文 字が透けて見える、11×11cmのタイル地を透明の袋にパッケージしたもの12点が展示さ れた。 |
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高田千佳子展 2000年9月26日(火)〜10月8日(日) 高田千佳子は、鉛筆や木炭などによる淡彩のドゥロ−イングをもとにして、なんらかのイメ−ジが描かれた部分と何も描かれていない背景の部分、濃く描かれた部分と薄い部分、線描の部分と面の部分など、細部と全体および細部同士がそれぞれ表裏一体の関係で複雑に絡み合いながら画面が構成されてゆくような作品を制作している。今回の展示は以下のように構成された。 正面の壁には、黒の「線」から立体の形をつむぎ出したようなイメ−ジのドゥロ−イングをほぼB2サイズの白い紙に描いた作品2点が上下して貼られ、2点の隙間の壁の部分には、それぞれの絵の中のある一本の線をつなぐようにして7本の虫ピンが打ち込まれている。そして上段の紙から天上に向けては、同様に絵の中の線を起点とする7本の虫ピンが打たれ、そのラインは天井を経て、右側の壁に設置された、大小七つの円形の紙にドゥロ−イングを描いて一組にした作品がつくるカーブへとつながってゆく。また左側の壁には、ドゥロ−イングによって描かれた6つの螺旋の内の2つの円形に、同様の円形の絵を重ねて置いた作品が留められている。 この展示は、「上昇の気配を示す円弧」という不可視の「線」を、平面上に出現さることに成功しているといえるだろう。 |
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曽田 朋子 展 2000年10月10日(火)〜10月29日(日) 展示空間には、「へちま」あるいは「船底」を想像させるような有機的な形でそれぞれ赤、青、おうど色の色彩を持つオブジェと、円形の器の底をくり貫いたような形のグレーのオブジェ作品が天井からテグス出吊り下げられて浮遊している。これらは、それぞれ作品が示す色に染められた糸を縫い固めて形をつくり出したものであるが、あえて支持体を用いずに糸のみで成形されていることによって、各作品は独特の存在感を醸し出している。つまり、一個一個が単色に染められた糸という素材の集積物であることが、作品の内側の囲われた小さな空間も含めて、それぞれのオブジェを完結した存在にさせているのである。 また壁面には、「いみのしみ」ということばが何重にも重なり、読み取ることが困難なテキストをプリントとした細長いテープが所々に貼られて壁の空間を支配している。こうしたテキストとオブジェとの間には一見関係性は無いように見えるが、伝える目的が希薄な「ことば」を生成することと、糸を紡いで抽象的な形をつくり出す行為は、根源的な部分でつながっているようにも思える。そう考えるとこの展示空間は、作者自身の心の奥底に眠る「何か」に何らかの形を与えようとした末につくられたものであるということもできるのではないだろうか。 |
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鈴木 邦弘 トイレ展 2000年11月7日(火)〜11月19日(日) 「ブタ」をモチーフにして主にダンボール板に描いた、大小53点のイラスト作品による展覧会。描かれているブタは、時には擬人化され、また時にはライオンや猿などの動物に例えられるなど、さまざまなバリエーションが現れて壁面を覆い尽くし、絵を次々と眺めてゆく楽しみを与えてくれる。 またほとんどの絵には、短い「ひとこと」が画面に直接書き込まれているが、絵ができた後にことばを添えたのか、あるいはことばがもとになって絵が生まれたのかを想像しながら作品への視線を移してゆくことも、この空間のもう一つの楽しみではなかろうか。 |
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ささきくみこ 展 『はなむけ行事』 2000年11月21日(火)〜12月10日(日) トイレットペーパーで折られた花型のさい銭を、用を足した後に来場者が便器に投げ入れ、便の労をねぎらう行事を催すという展覧会。 黄色く塗られた9cmの幅の板がつくる四角い囲いが、便器とほぼ同じ高さでトイレの壁面に沿って設置され、その上には、白いトイレットペーパーを折って花を型取ったものが無数に置かれている。作者はこれらを「花銭」と名付けており、来場者がトイレで用を足す度に、この中から任意の「花銭」を選んで便器に流してほしい旨を記した紙が、「花銭」の作り方を付け加えて正面の壁に貼られているという展示が行われた。 |
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上原 亜理 展 『アリノコトイレ』 2000年12月12日(火)〜12月24日(日) トイレのドアを開けると、オレンジ色や紫色、ピンク、黄緑などそれぞれが色とりどりの布でつくられ、黒いペンで顔が描かれた23〜25cmほどの人形が、伸ばした両手を情報の人形の両足とつなぐ形で天井から計120体ほどぶら下がっている。 この展覧会には、「トイレにちょっと行ってくる、それが最後の言葉でした」というタイトルが付けられているが、これらの人形は、トイレに入った人が再び戻らずにそのまま中の人形になってしまったという展示のイメ−ジを表している。 |
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岡 博美 展 『Ku』 2001年1月23日(火)〜2月11日(日) ファイーバー・ワークによるインスタレーション。 半透明の(ゴムを縫うことによって出来る)立体でトイレ全体を覆い、中に薄明るい青い電球を入れ、光を灯すという展示。 白いビニールが床に敷かれたトイレに入ると、天井に設置した弱く青い光源が空間全体を照らし出している。天井全体や壁面の一部は、大きく弛ませて張った目の微細な透明性の高い白い布地(オーガンジーとシャーの2種類)などで覆われており、それらは、時を止めた雲の動きや正体のつかめない生き物をイメ−ジさせもする。さらに布の所々は、黄色や赤、青などの色を使っ部分的に淡く染められており、天井の青い光源と布地が発する色が混じり合うことで、空間全体に静謐な雰囲気がつくり出されているのである。 |
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三浦 謙樹 展 2001年2月13日(火)〜3月4日(日) 極細の黒のペンで和紙に無数の点を穿ち、「樹」や「種子」などをイメ−ジさせる形を描いた、多数のポストカード大の作品で壁面を構成する展覧会である。 トイレに入ると、「樹」の形がもとになったような縦長の長方形が点描で描かれた作品18点と、「種子」の形がもとになったような小さな円形が同じく点描された作品27点が貼られている。「樹」と「種子」という互いに深い関係にあるモチーフは、和紙という方形の中に閉じ込められていながらも、それぞれのイメ−ジが生む「気配」を展示空間に放つことで、この場を独特な雰囲気で満たしてゆくのである。 |
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くわたひろよ 展 『day after day』 2001年8月21日(火)〜9月16日(日) トイレに入ると便器の目の前に白い棚がつくり付けられており、皿や茶碗、はしなどの食器を模した琥珀色のオブジェが並べられている。これらは半透明の樹脂を素材としたものであるが、よく見ると食器の内部は細かく丸いものでびっしりと埋められ、「はし」は小さな多数の円筒をつないでできていることに気が付く。実は、これらはすべて魚の骨を細かく分解したもので、サケ(箸)、アジ(角皿)タチウオ(丸皿)、ハモ(濃い色の器)、メンタイ(薄い色の器)をそれぞれ使用している。作者はこれまで、自身が食した魚の骨を樹脂にした作品をつくり続けてきた。今回トイレには食事のためのセットが設置されたが、一度口内に取り込んだ後で排出されたものをもとにした作品と排泄のための場であるトイレという、「からだからはき出されたもの」という共通項が支える関係性が、この空間をことさら意味深い存在に仕立て上げているのでる。 |
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2001年10月9日(火)〜10月14日(日) 城戸 みゆき 展 『ユラユラノ家家』 占い屋、病院、ガソリンスタンド、銭湯、映画館、テント、レストラン、民家、五重の塔など、紙でできた2〜3cmほどの小さな「家」が、同様のきわめて小さな車や木立ちなどを伴い、それぞれ 5×5×2.5cmの紙の台座に乗ってトイレの空間の床や天井、中空などにぎっしりと立ち並んでいる。 これらは、作者がイラスト作品として展開図を描きそれを紙にプリントした上で切り抜き組み立てたもので、そのすべてが、彼女がイメ−ジした独特の色やかたちで彩られている。展示は、便器を囲むように孤を描いて床に並ぶ 120個ほどの家々を乗せた台座の角から伸びる4本の竹ひごの先の中空にに、さらに家が乗った台座が取り付けられ、天井には天地を逆にして 400軒近くの家々がぎっしりと密集し、さらにトイレの配管には、豆つぶほどの小さな車が行き交っている。そしてこれら 700軒の家々によって、トイレの空間は架空の「街」へと一時その姿を変えたのである。 |
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2001年11月27日(火)〜12月30日(日) 大野 明代 展 『at the invisible place』 透明アクリル板を支持体にカラー写真をもとにしたイメージを転写させてつくった、25〜110cmほどの大小8点の平面作品および、厚みの薄い箱型の2点の立体作品によって空間が構成された展覧会。 これらは、主に風景や花を撮ったカラー写真や、時として地図あるいは作者自身が描いたドゥローイングなどを、拡大縮小を含めてコピーしたものを、シンナーを使ってアクリル板の表面に転写させて制作がなされている(コピー面のトナーがシンナーによって剥がし取られアクリル板の表面にイメージが残される)。写真は、旅先や日常の中で撮影された光景が主だったものだが、これらはコピーや転写のプロセスを経て、さらにはアクリル板上で透明に表現された部分がトイレの壁面と完全に同化することで、「絵画的」ともいえる非現実的な光景へと姿を変えている。 景色や花、地図など、現実では同居することのありえないイメージを、本来のサイズを意図的に変えられて同一の画面の中にコラージュさせる手法は、作者の「意識」の中で構築された景色を二次的に立ち上がらせたものだといえるだろう。そして、中でも特に箱の作品は、何層もの仕切を内蔵することで、重層的なイメージを持った絵画的な「異空間」を表す存在となっているのである。 |
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ART SPACE bis (本棚の展示空間) | |
金武 明子 展 『Girls 2 laughing』 2000年4月25日(火)〜5月14日(日) 「笑い袋」を、17cmの白く塗られた立方体の3個の箱にそれぞれ5〜10個ほどつめ込み、来場者がそれを自由に手に取ることができるという展示である。(「笑い袋」は、1970年代のある時期にブームになったおもちゃで、一見何が入っているかわからないような袋を手にとって、何かの拍子にっスイッチに触れてしまうと、機械がつくる金属的な笑い声があたりに響くというものである。) 棚の扉を開けると、中に置かれた3つの白い箱に、それぞれブロンド、茶髪、黒髪の女性用かつらが入れられ、来場者がそれを持ったときに、髪の下に隠された「笑い袋」のスイッチに触れてしまうと、金属的な笑い声がしばしギャラリーにひびきわたるという展示である。 |
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ピコピコ 展 『コマピコ』 2000年5月16日(火)〜6月4日(日) 棚の中の3つの白い箱に、粘土などを素材とするオブジェを背景にした小さなぬいぐるみのキャラクターが、マンガの《吹き出し》に入ったセリフを従えて、それぞれ色鮮やかな小宇宙をつくり出している。 さらに展覧会名でもある『コマピコ』と題された手作りのコミックが棚の中に一冊置かれているが、そこには、キャラクターたちが不条理な物語を繰り広げる、墨1色による3編のマンガが収録されている。 |
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Gallery ART SPACE Produce 『ことばの領分』より 稲永 寛 展 『彼の経済、彼女の経済』 2000年6月27日(火)〜7月8日(土) 幅70cmほどの白い本棚の扉を開けると、中央の仕切りに分けられた左右の空間に、さまざまな商品のパッケージの表面を白い絵具で塗りつぶしたものが詰め込まれている。それは例えば、缶コーヒーや缶ビール、スナック菓子、文庫本、カップ麺などであるが、それぞれは、パッケージの一部分のみが塗り残されている。さらに棚には、各企業がつくったこれらの商品のPR用のリーフレットをまとめたものが、テキストとして設置された。 この展覧会には「彼の経済、彼女の経済」というタイトルが冠されているが、ここにある『ドンタコス』『Volvic』『スジャータ』『キリン一番搾り』『ライオン歯みがき』『鉄道員』等の商品に対して、パッケージのどの部分が気になって購入を決めたのかということをさまざまな人に聞いてリサーチし、その理由となった部分のみを残して白く塗りつぶし、さらに聞いた相手を男性と女性に分けて展示することでこの展覧会は構成された。 しかし男女に分かれているといっても、作品を一見した限りでは、どちらが男性の側でどちらが女性の側であるかはとうとう特定することができなかった。つまり、商品購入に絡む経済原理においては明確な性差は無いということがこの作品から私が読み取った結論であったのだが、もちろん現実にそんなことはなく、彼の作品が見せる経済に対するコンセプトと実際の経済原理との間に横たわる微妙な溝が、観る者に「自分にとっての経済とは一体どういったものであろうか」ということを考えさせるのである。 |
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山本 麻紀子 展 『新感線』 2000年8月1日(火)〜8月13日(日) 内側が各辺17cmの立方体の箱の下にそれぞれ4つのタイヤを付けたものを、ヒートン でつなげて3連にし、棚状に区切った左側の箱には、4×3cmのサイズの小さなノート16 冊にコラージュなどで一年分の日記を記したものを収め、真中の箱には、「鳩」のオブジ ェが豆電球に照らされた背景を背にしてモーターで高速回転する「立体夢日記」を、右側 の箱には、作者本人にかけるための携帯電話を置いた展覧会。 |
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森山ツネイツ 展 『onenes』 2000年9月26日(火)〜10月8日(日) 森山ツネイツは、樹の皮の内側を虫が這い表面を食した、いわゆる虫食いの木に残った虫の痕跡を墨で塗 りつぶした作品や、虫食い木の切断面の上に、その木を食した虫の排泄物を山の形に盛っ て置いた作品などを発表している。今回の展示は以下のように構成された。 白い3つの箱には、皮を剥がした樹木の輪切りから外周の一部分を切り出してきたものを、それぞれ背中合わせ置いて一組が尖った山のような形をつくるオブジェが、箱一つにつき2組ずつ設置されている。これらの樹のオブジェの表面には、虫が食することで刻まれた、絵画の模様にも見える溝が、切断面には虫食いによる大小無数の穴が開けられている。そして、樹木から切り出されてここに置かれた後も中にいた虫をそのまま残すことによって、虫食いの穴は増え、オブジェが入れられた箱の床にはその末のカスが会期中徐々にたまってゆくという作品である。 それ自体が生態系を象徴するこの作品は、展示空間の小ささをものともせず、非常に大きな広がりを感じさせるものであったといえるだろう。 |
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古厩 久子 展 『手にいれて!』 2001年1月23日(火)〜2月11日(日) 手がモノに触れることが引き起こす感覚をもとに制作したオブジェ作品による展覧会。 棚の中には各辺17.5cmの白い箱が3つ並べられ、それぞれの中央部には直径6mmの覗き穴が開いている。ここから中を覗くと、右端の箱の中には指先を上に向けた左手の映像が、中央には掌を上に向けた左手の映像が、左端には指先を上に向けた右手の映像が、ちょうど掌に光をあてるような形でカラー写真として写し出されている。そしてそれぞれの箱の側面には、手の形の輪郭が黄色い線で描かれているが、この部分に手を触れると、箱に仕組んで温熱器によってほぼ体温に近いあたたかさが手に伝わってくる。そして、「観る」ことと「触れる」ことの体験が私達の意識の中でシンクロするとことによって、箱の中に見えるての映像は、ある種の実体を持ち始めるのである。 |
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坂本 東子 展 『21世紀3箇日 〜SPECIMEN OF TIMES 2〜』 2001年2月13日(火)〜3月4日(日) 細いナイロンのテグスを編む行為から生まれるオブジェ作品による展覧会。 本棚の中の3つの白い箱には、さまざまな色に染められたテグスを編んでつくった8cmほどの不定形のオブジェと、各作品の制作日(2001年1月1日、1月2日、1月3日)を示す英字の小さなプレートが、それぞれ一組ずつ置かれている。さらに本棚の扉の内側には、紙に12cmほどの円形のタイムテーブルを描いた上から、たとえば12時から1時まで、1時から2時までというふうに、1時間につき1つの色を当てはめ計24色の色に染めたテグスの断片をつなぎ、タイムテーブルの円に沿って貼ったものが展示されている。各作品は一日に一つずつ制作されたものだが、そこに使われているテグスの色をタイムテーブルと照合させることによって、一日の内で何時にどのくらいの量の作業が行われたかということを端的に知ることができる。 この展覧会、タイトルに含まれている「21世紀3箇日」という語が示すように、2001年正月三が日に行われた制作行為をそのままあるかたちに置き換えたものだが、そこには制作に費やした時間はもとより、作者が過ごした時間を表すものとして、作業の手を休めていた部分さえもがテグスのすき間の空間という形で作品に編み込まれているかのような印象を感じ取ることができた。 |
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